黒田孝高(2/2)戦国随一の軍師
黒田孝高
天正17年(1589)5月、家督を嫡男の長政に譲り、孝高は秀吉の側近として引き続き仕えます。猪熊、伏見の京屋敷や天満の大坂屋敷を拠点としていました。
慶長3年(1598)8月、豊臣秀吉が死去。翌年1月、生前の秀吉が『大坂城中壁書』にて制限した大名間の婚姻と私的な交流に徳川家康や福島正則らが抵触するも、詰問した前田利家・石田三成ら大老・奉行衆との間に緊張が高まっていきます。
慶長5年(1600)6月、家康が会津の上杉景勝討伐を諸大名に命じ、長政は家康の養女栄姫と再婚し、家康と共に出陣します。長政は豊臣恩顧の大名を多く家康方に引き込み、後藤基次ら黒田軍の主力を率いて、関ヶ原本戦で武功を挙げました。
中津に帰国していた孝高も、家康方に対し、前もって味方として中津城の留守居を務める密約を結び、行動。再興を目指して西軍に与した大友義統が毛利輝元の支援を受けて豊後国に攻め込むと、東軍の細川忠興の飛び地である杵築城を包囲攻撃。城将・松井康之と有吉立行は孝高に援軍を要請し応じます。
石垣原で大友義統軍と衝突、母里友信が緒戦で大友軍の吉弘統幸に破れる等苦戦するも井上之房らの活躍もあって、黒田軍は大友軍に勝利しました(石垣原の戦い)。
他にも九州各地で西軍武将の拠点を攻撃するも、島津氏と徳川家康の和議が結ばれたのを機に撤退しました。
最期と死後
関ヶ原の戦の後、徳川家康は長政に勲功として豊前国中津12万石から筑前国名島(福岡)52万石への大幅加増移封、孝高にも勲功恩賞、上方や東国での領地加増を提示していますが辞退し、隠居生活を送りました。
晩年は福岡城に残る御鷹屋敷や、太宰府天満宮内に草庵を構え、上方と福岡を行き来する生活を送っていたといわれています。
慶長9年(1604)3月20日の辰の刻、京都伏見藩邸にて死去した。享年59。
4月のある夜、午後10時半頃、博多の教会の宣教師たちは孝高の遺骸を、博多の町の郊外にあって、キリシタンの墓地に隣接している松林のやや高い所に埋葬した。主だった家臣が棺を担い、棺の側には長政がつきそって埋葬しました。長政は仏式の葬儀もおこなっています。
後に長政は京都の臨済宗大徳寺に、父・孝高を弔う為に塔頭・龍光院を建立。法要が行われました。同院は当初、大徳寺最大の塔頭で如水の霊廟の他、大阪天満の如水屋敷にあった書院、茶室等を移築。これが国宝茶席三名席の一つの密庵となっています。
中津城と黒田孝高
中津城(別名:中津川城)は黒田孝高が築城し、細川忠興が完成させた城です。大分県指定史跡となっており、享保2年(1717)からは、中津藩主を務めた奥平家が居城としていました。
堀には海水が引き込まれおり、水城(海城)です。これは、今治城・高松城と並ぶ日本三大水城の一つに数えられています。本丸を中心に、北に二の丸、南に三ノ丸があり、全体がほぼ直角三角形をなしていたことから扇形に例えて「扇城(せんじょう)」とも呼ばれていました。櫓の棟数は22基、門は8棟。総構には、6箇所の虎口が開けられた。
中津城は、冬至の日には、朝日は宇佐神宮の方角から上り、夕日は英彦山の方角に落ちる場所に築城されているのが特徴で、吉富町にある八幡古表神社と薦神社とを結ぶ直線上に位置しています。鬼門である北東には、闇無浜神社(くらなしはま)があります。
扇状の旧城下町には、今でも築城した黒田孝高にちなんだ「姫路町」や「京町」などの町名が残っています。
模擬天守は中津城(奥平家歴史資料館)として一般公開されており、奥平家歴代の当主の甲冑、奥平忠昌が徳川家康から拝領した白鳥鞘の鑓(しらとりざやのやり)、長篠の戦いを描いた長篠合戦図大掛軸、武田信玄から拝領した「大」の字の陣羽織、徳川家康真筆書・徳川家康軍法事書や奥平信昌真筆書など古文書類が展示されていて見ごたえ抜群です。
官兵衛の里 黒田と黒田の里 官兵衛まつり
黒田孝高や祖先の黒田氏発祥の地として伝わるのが、西脇市黒田庄町黒田です。通説とは異なるもうひとつの生誕地として、黒田集落には孝高や黒田氏ゆかりの場所が点在しています。黒田氏9代の居城といわれる「黒田城址」「多田城址」、黒田氏の居館があったと伝わる「姥が懐」(黒田官兵衛生誕地の石碑)、官兵衛の母が落城の際に溺死した「松ヶ瀬」、・黒田氏の発祥から滅亡を記した荘厳寺本黒田家略系図を所蔵する「荘厳寺」などがあります。また、毎年秋には荘厳寺で「黒田の里 官兵衛まつり」を開催しています。
紅葉の名刹としても広く知られた荘厳寺ですが、祭りの当日は、近年話題の黒田官兵衛ゆかりの地を回る、ハイキングイベントや当時の様子を再現した、武者行列などが行われ、遠方からもたくさんの方が参加しています。
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- 執筆者 葉月 智世(ライター) 学生時代から歴史や地理が好きで、史跡や寺社仏閣巡りを楽しみ、古文書などを調べてきました。特に日本史ででは中世、世界史ではヨーロッパ史に強く、一次資料などの資料はもちろん、エンタメ歴史小説まで幅広く読んでいます。 好きな武将や城は多すぎてなかなか挙げられませんが、特に松永久秀・明智光秀、城であれば彦根城・伏見城が好き。武将の人生や城の歴史について話し始めると止まらない一面もあります。