福島正則(1/2)賤ケ岳の七本槍
福島正則
戦国時代、織田信長が本能寺の変に斃れた後、天下人になった武将が豊臣秀吉です。その秀吉には小姓として多くの若者が仕えました。加藤清正、石田三成、福島正則などです。福島正則は尾張国に生まれ、秀吉の親戚という伝手で仕える事になりました。秀吉の天下統一を助け、大名へとのし上がっていきます。今回は秀吉に仕え大名になり、関ヶ原の戦いで奮戦した福島正則の生涯を解説します。
秀吉との関係と幼少期
福島正則は永禄4年(1561)、尾張国海東郡二ツ寺村(現在の愛知県あま市)において生まれます。幼名は市松と言い、桶屋を営んでいた福島正信(正信は義父であったとも)の下で育ちます。
母は、木下秀吉(後の羽柴秀吉、豊臣秀吉)の母(大政所)の妹と言われ、正則と秀吉は年の離れた従弟という事になります。その縁で正則は、少年になると秀吉の小姓となり仕えるようになりました。
天正6年(1578)、播磨三木城攻めで初陣を飾り、禄高200石を受けました。天正10年(1582)、本能寺の変において織田信長が明智光秀によって討たれます。羽柴秀吉は山崎の戦いで明智光秀を討ち、主君織田信長の仇を討ちました。正則も勝龍寺城を攻撃するなどして軍功をあげ300石を加増され500石取りとなります。 若き日の福島正則は羽柴秀吉の下で、勇敢に戦い成長していきました。
賤ケ岳の戦いと青年期
山崎の戦いで羽柴秀吉が明智光秀を倒すと、織田家の中で主導権を巡り織田家の内部で対立しました。特に明智光秀を討った羽柴秀吉と織田家の家中でも筆頭であった柴田勝家が争います。
天正11年(1583)、対立していた羽柴秀吉と柴田勝家とは戦う事になりました。賤ケ岳の戦いです。この時、秀吉の小姓であった福島正則、加藤清正、脇坂安治、片桐且元、平野長泰、糟屋武則、加藤嘉明の七人が大いに奮戦し、後に「賤ケ岳の七本槍」と呼ばれるようになりました。正則は柴田勝家の古くからの与力で加賀国大聖寺城主であった拝郷家嘉を討ち取り一番槍、一番首を挙げ一躍5000石(他の6人は3000石)の領地を与えられます。
羽柴秀吉はこの戦いで柴田勝家を破り、覇権を固めました。福島正則はこの後、小牧・長久手の戦い、根来攻め、四国平定、九州平定の戦いに出陣しその功績が認められて天正15年(1587)、伊予国今治11万3千余石を与えられ大名格となりました。
朝鮮出兵
文禄元年(1592)から始まった朝鮮出兵でも福島正則は5番隊の主将として渡海します。 ところでこの朝鮮出兵の間に、豊臣家で事件が起きます。
文禄4年(1595)、秀吉の甥、豊臣秀次が切腹させられます。この時、正則は日本にいました。
正則は秀吉に命じられ、秀次切腹の命令を伝えに行きました。同じ年、秀次が領していた尾張国清洲を福島正則が領するようになります。
更に慶長3年(1598)侍従に叙任し官位を得ます。ところが同じ年、正則が仕えてきた豊臣秀吉が亡くなりました。
石田三成との確執
豊臣秀吉が亡くなると、豊臣家の内部で対立が起こります。豊臣家子飼いの家臣のうち加藤清正、福島正則などの武断派と行政や後方の支援を行う石田三成などの文治派とがいがみ合いました。
朝鮮出兵の間、現場で戦っていた武断派は、文治派が秀吉に対して正確な報告を行ってない、と不満に思っていました。対立は五大老の1人、前田利家が間に立ち抑えられていましたが、前田利家が慶長4年(1599)に死去します。
そこで利家の亡き後、武断派は文治派の筆頭と目されていた石田三成を襲撃しようとしました。 石田三成は、武断派からの襲撃前には屋敷を抜け出しました。五大老の1人、徳川家康が間に入って調停し、武断派をなだめ、石田三成には隠居させて居城である佐和山城に逼塞させました。
こうして石田三成は中央である京・大阪から失脚し、武断派は一端なだめられましたが、三成に対する不満は解消されませんでした。福島正則は特に不満を抱いていて、この関係のもつれが関ヶ原の戦いに続いていきます。
また豊臣秀吉は生前、諸大名間での結婚を禁じていました。ところが武断派と文治派との斡旋に動いた徳川家康と福島正則とは昵懇の間柄となります。家康は自らの異父弟(久松松平家の松平康元)の娘、満天姫を正則の子(正則の姉の子を養子とした福島正之)に嫁がせます。こうして福島正則と徳川家康との関係は急速に近づいていきました。
関ヶ原の戦い
慶長5年(1600)会津の上杉家が徳川家に反旗を翻します。徳川家は上杉家の行動を豊臣家への反抗とし討伐軍を結成し会津に向かいます。福島正則も6000人の兵を率いて従軍しました。ところが関東まで来ると、大坂で石田三成が徳川家康に反旗を翻します。
- 執筆者 葉月 智世(ライター) 学生時代から歴史や地理が好きで、史跡や寺社仏閣巡りを楽しみ、古文書などを調べてきました。特に日本史ででは中世、世界史ではヨーロッパ史に強く、一次資料などの資料はもちろん、エンタメ歴史小説まで幅広く読んでいます。 好きな武将や城は多すぎてなかなか挙げられませんが、特に松永久秀・明智光秀、城であれば彦根城・伏見城が好き。武将の人生や城の歴史について話し始めると止まらない一面もあります。