別所長治(2/2)播磨国の勇将

別所長治

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人物記
名前
別所長治(1558年〜1580年)
出生地
兵庫県
関係する事件

別所長治とその一族は三木城の明け渡しで自刃しましたが、一族全てが亡くなったわけではありませんでした。一族のうち長治の叔父(別所安治の弟)別所重宗は織田家に付いていたので羽柴秀吉の家臣となり但馬国八木城主(あるいは丹波国園部城主)となります。江戸時代に入り別所重宗の子、別所吉治は江戸幕府の参勤交代を怠り、寛永5年(1628)に八木藩を改易されます。この改易された別所吉治が実は別所長治の子という説もあります。兎も角も改易された別所家でしたが後に幕府に許され、徳川家の旗本として続いていく事になります。

また長治には千代丸という8歳の子がおり家臣の後藤基国(後藤又兵衛の父)が連れ出し、後に帰農したとも言われています。
別所長治の宗家は無くなりましたが、その他は明治まで続いていく事になります。

三木城と別所長治像

三木城は播磨国美嚢郡三木にあった平山城です。小寺氏の御着城、三木氏の英賀城と並び『播磨三大城』と称されました。

三木城の築城時期は定かではありませんが、別所則治が明応元年(1492)前後に築かれたと考えられています。別所則治の出自ははっきりせず歴史に突如現れますが、別所家に仕え武功を挙げ勢力を拡大させていきました。
さて別所長治の時代の天正6年(1578)織田家に属していた別所家は突如として反織田の姿勢を取ります。これは羽柴秀吉と別所吉親が会談(加古川評定)し意見が対立したとも、それ以前から毛利輝元に篭絡されたからとも言われています。こうして三木合戦が始まり別所長治は自害しました。この後、三木城は豊臣家(羽柴家)の直轄領として管理された後に播磨国の大名となった池田輝政の支城の一つとなりました。ところが元和元年(1615)江戸幕府により一国一城令が発布され三木城は破却されました。

現在、三木城は本丸周辺が上の丸公園として残っています。公園内には長治の時世の歌碑や、場外への抜け穴とされる「かんかん井戸」、更に近年有志で建てられた別所長治の銅像があります。

別所公春祭

三木城で自らの命と引き換えに家臣の助命を勝ち取った別所長治。
現在、兵庫県三木市では別所長治を偲んで子供の日の5月5日に三木城のあった三木城跡の上の丸公園や中央公民館で「別所公春祭り」を行っています。

午前中にはメインの伝統行事として歌碑祭を行っています。別所長治とその一族を偲ぶ献詠歌を一般募集し、優秀作を上の丸公園歌碑前(別所長治の時世の句を書いた歌碑)において『歌碑祭』で朗詠しています。

その他、縁日や武者行列、体育団体による柔道、空手、剣道、弓道などの奉納武道大会、盆栽、水石、川柳などの文化団体による作品展示を行い、地元の英雄を偲びつつ祝日の一日を楽しみます。

別所公祥月命日法要と三木合戦絵巻き

三木市雲龍寺の首塚と『別所公祥月命日法要』
三木氏にある雲龍寺には別所長治の首塚があります。
雲龍寺は天徳2年(958)、慈恵僧正によって創建されたと言われています。播磨国守護大名赤松氏や別所氏の庇護を受け栄えます。そして羽柴秀吉の播磨侵攻が始まり三木合戦が起こると境内の堂などが焼失します。その後、秀吉から寺領30石と安堵の朱印状が渡され現代まで続いています。
さて三木城が落城のおり、別所長治は愛用の金天目の湯呑みを贈ります。寺は自害した別所長治の死を悼み亡骸を寺内に埋葬しました。これが長治の首塚の由来です。
そして現在。三木の人々(三木地区区長協議会、『別所公奉賛会』)が提唱し別所長治の祥月命日である1月17日に『別所公祥月命日法要』を行うようになりました。この法要当日、当時の三木城がワラまで食べて籠城を耐えた事を偲び、ワラに見立てたうどんを食べる伝統行事が行われています。
三木市法界寺の墓所と三木合戦絵巻き
三木市にある法界寺は、天平4年(732)に行基菩薩が創建されたと言われています。別所氏の菩提寺とされ、別所長治はこの寺において自刃したと言われます。本堂には別所長治夫妻の霊牌及び画像、木像、外には別所長治の墓並びに家臣の墓が並んでいます。
さて別所長治の月命日にあたる4月17日、法界寺では月命日の法要と三木合戦絵巻きによる三木合戦の解説が行われます。三木合戦が描かれた大幅掛け軸を使い三木合戦の概要を聞くことができます。

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葉月 智世
執筆者 (ライター) 学生時代から歴史や地理が好きで、史跡や寺社仏閣巡りを楽しみ、古文書などを調べてきました。特に日本史ででは中世、世界史ではヨーロッパ史に強く、一次資料などの資料はもちろん、エンタメ歴史小説まで幅広く読んでいます。 好きな武将や城は多すぎてなかなか挙げられませんが、特に松永久秀・明智光秀、城であれば彦根城・伏見城が好き。武将の人生や城の歴史について話し始めると止まらない一面もあります。
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