大政所(2/2)天下人・豊臣秀吉の母
大政所
大政所の長女、智は秀吉と同じ父の木下弥右衛門の子として生まれます。尾張国海東郡乙之村の農民弥助に嫁ぎ、長男に秀次(治兵衛)、次男に秀勝(小吉)、三男に秀保(辰千代)をもうけました。夫の弥助は、豊臣秀吉が織田信長に木下姓で仕えると木下弥助として秀吉に仕えました。智と弥助の長男秀次は畿内の名門三好家に養子として入り三好姓を名乗り三好秀次と名乗ります。更に晩年まで子供の出来なかった豊臣秀吉は三好秀次を跡取りとして秀吉の後継者に指名されました、豊臣秀次です。
ところが智の子供達はあまり良い人生を歩みませんでした。秀勝は豊臣秀吉の養子として迎えられ浅井長政の娘お江(後に徳川秀忠に再度嫁ぎます)を娶りましたが朝鮮出兵で戦死、秀保は羽柴秀長の娘婿として秀長の跡目を継ぎましたが病死、秀次は豊臣秀吉により切腹を命ぜられました。
大政所の長女智は、豊臣家の絶頂と共に自らの子供たちを亡くしていきます。ところが智は更に長生きします。豊臣秀吉が亡くなり、僧となった夫弥助も死去、大坂夏の陣で豊臣家が滅び、秀吉の妻北政所(高台院)が亡くなった翌年、寛永2年(1625)に亡くなりました。享年92。おそらく大政所の子供たちのうち、長男の豊臣秀吉が造った豊臣家の最期までを見届けたのは大政所の長女智でした。
ところで弥助と智の血脈は続きました。次男の秀勝とお江との間には娘が1人生まれました、豊臣完子です。完子は関白となる九条幸家に嫁ぎ、九条家は血脈を広げ現在の皇族へと繋がっています。大政所の唯一の血筋は長女の智の子孫だけでした。
大政所とその死
さて話を徳川家康に朝日姫が嫁ぎ、大政所が駿府に人質として送られた時まで戻します。大政所は1ヶ月を駿府で過ごし、大坂に戻されました。
天正15年(1587)には京の聚楽第が完成したので、豊臣秀吉と共に聚楽第へ移りましたがしばらくして大政所だけ大坂へ戻ります。
天正16年6月ごろから度々病で伏せりがちになりました。天正18年(1590)には朝日姫が、翌天正19年(1591)には羽柴秀長が相次いで亡くなり心労が重なりました。
しかし羽柴秀長が亡くなる頃から豊臣秀吉は唐入り(中国大陸遠征)を考え、九州の名護屋城へ移ります。大政所は豊臣秀吉の身を案じ、秀吉の渡海を制止しました。秀吉も母親の制止は無視できず、自身の遠征は中止しましたが文禄・慶長の役が始まります。
しかし天正20年(1592)には大政所の様態が悪化し、7月聚楽第で死去しました。享年77。母危篤の知らせを聞き九州から戻った秀吉でしたが死に目に会えず、卒倒したと言われています。吉は8月に大徳寺で法要を行い、荼毘に付しました。後陽成天皇は、勅使を遣わして大政所に准三后を追号しました。
大政所の墓所は大徳寺天瑞寺に、遺骨は天瑞寺の寿塔に収められたと言われ大徳寺本坊には大政所の肖像画残っています。高野山青巌寺、山科本国寺にも墓があり、山科本国寺には最初の夫である木下弥右衛門や甥の三好吉房、孫の豊臣秀保と合祀された供養塔があります。
伏見稲荷大社と願文
京都市伏見区にある伏見稲荷大社。
この伏見稲荷大社の正面にある楼門(屋根付きの大きな門)は、豊臣秀吉が天正17年(1589)に建てたと言われています。母の大政所が病にかかった際に豊臣秀吉が伏見稲荷大社に、大政所の病が治ったら一万石を寄進する、と祈願したら平癒し楼門が建ったと言われていました。
ところが長くこの話の真偽は疑問に思われてきました。しかし、昭和48年に伏見稲荷大社の楼門の解体修理が行われたところ、秀吉の祈願と同じ話である「天正17年の墨書」が発見され、伝承の正しかったことが確認されました。ただ実際に寄進されたのは5000石だったので、秀吉は神様に値切ったのかもしれません。
現在、伏見稲荷大社の楼門は京都市内の神社の楼門の中でも最古で、最大と言われ国の重要文化財に指定されています。
日ノ宮神社と秀吉の誕生
天下人となった豊臣秀吉。その秀吉を産んだ大政所。豊臣秀吉の生誕の場所は、厳密には分かっていません。尾張国愛知郡の中村(現在の名古屋市中村区)までは確かなようですが、名古屋競輪場に隣接する中村公園の場所ともされ、中村公園の東隣り常泉寺とも言われています。中村公園には「豊公誕生之地」の碑が、常泉寺の境内には秀吉が植えたと伝わる「御手植の柊」や産湯の井戸などがあります。厳密な場所はともかく中村で豊臣秀吉は誕生しました。
この名古屋市中村に日之宮神社はあります。日之宮神社の元の名を日吉権現とされ、大政所は秀吉が生まれる前に日吉権現に日参し、男子の誕生を願ったとされます。そして天文五年(1536年)元旦、力強い産声と共に誕生したのが豊臣秀吉でした。秀吉の幼名、日吉丸はこの日吉権現から付けられたとされます。
大政所の願いを叶えた日之宮神社、天下人を生み出した神社です。
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- 執筆者 葉月 智世(ライター) 学生時代から歴史や地理が好きで、史跡や寺社仏閣巡りを楽しみ、古文書などを調べてきました。特に日本史ででは中世、世界史ではヨーロッパ史に強く、一次資料などの資料はもちろん、エンタメ歴史小説まで幅広く読んでいます。 好きな武将や城は多すぎてなかなか挙げられませんが、特に松永久秀・明智光秀、城であれば彦根城・伏見城が好き。武将の人生や城の歴史について話し始めると止まらない一面もあります。