人吉藩(1/2)お家騒動が多い

人吉藩

相良家の家紋「相良梅鉢」

記事カテゴリ
藩史
藩名
人吉藩(1585年〜1871年)
所属
熊本県
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人吉城

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人吉藩は、熊本県南部にある球磨地方にあった藩です。人吉藩の藩主は開藩から明治維新まで、相良家が藩主を務めました。また、相良氏は鎌倉時代からこの地を治めてきた豪族であり、一つの家が鎌倉時代から明治時代まで同じ土地を治め続けた希有な例でもあります。
その一方で、人吉藩は何度も家臣同士の争い、いわゆるお家騒動が絶えませんでした。
そんな人吉藩の歴史を紐解いていきましょう。

鎌倉時代から始まる相良氏の治世

相良氏が球磨地方を治め始めたのは、鎌倉時代のことです。源頼朝に仕えた遠江国相良荘国人、相良長頼がこの地を治めていた平頼盛の家臣、矢瀬主馬佑という人物を謀殺し、地頭としてこの地を治めはじめました。

戦国時代になると、島津氏が九州制覇に乗り出しますが、相良氏は島津氏に従属して家を存続させます。また、豊臣秀吉が九州征伐をおこなった際は、家臣の深水長智が豊臣秀吉に直談判をおこない、所領の安堵を約束させました。

しかし、その後、深水長智の甥にあたる深水頼蔵が別の重臣犬童頼兄と対立、石田三成が仲裁に入る事件にまで発展し、深水頼蔵が出奔、深水一族が犬童頼兄に打たれるという事件が起こります。これにより、犬童頼兄が家臣団の中心となり、家老・執政となって名前も相良清兵衛頼兄と改名しました。そして、この頼兄が慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いの際、西軍を裏切って東軍と内通しました。この働きが、結果的に相良氏の領土安堵につながったのです。こうして、江戸時代になっても球磨の地は相良氏のものであり続け、20代当主、相良頼房の代で、人吉藩が誕生しました。

江戸時代を通して繰り返されたお家騒動

人吉藩が開かれて明治維新を迎えるまで、16人の藩主が藩を治めました。その間、記録に残っているだけでも5回のお家騒動が起きています。一つの藩でこれだけのお家騒動が起きるのは他に例がなく、それでも相良家は改易させられることもなく、藩主であり続けました。

最初のお家騒動が起きたのは、2代目藩主相良頼寛の時代です。寛永17年(1640年)家臣団の中心となり、家老・執政となっていた相良清兵衛頼兄の専横が目に余るようになり、相良頼寛は、幕府にそのことを訴えて裁可を仰ぎます。その結果、幕府は相良清兵衛頼兄を小田原藩仮預かりにすると、決定します。その事実を、江戸屋敷から国元へ神瀬外記、深水惣左衛門が伝えるのですが、同時に「頼兄の養子、田代半兵衛頼昌は引き続き藩士として召し抱える」という知らせも伝える予定でした。しかし、田代半兵衛頼昌は義父の処分をすでに知っており、「お下屋敷」と呼ばれる頼兄の屋敷に、使者2名を監禁しました。深水惣左衛門は逃げ延びましたが、神瀬外記は殺害されます。そして、藩兵がお下屋敷を取り囲み、最終的に頼兄の一族全員が討死または自害により121名が死亡しました。なお、騒動の発端となった頼兄は、津軽藩預かりとなり、青森で88歳まで生き延びました。これが、「お下の乱」と呼ばれるお家騒動です。

2度目の内乱は、お下の乱の4年後の正保2年(1645年)に起きています。300石取りの上士である村上顕武をはじめとする一族70名が、顕武の養子である角兵衛とその実兄である柳瀬長左衛門によって皆殺しになりました。惨劇は先祖供養の法要をおこなっている最中に起きたと伝わっています。この事件は、角兵衛の母の身分が低いことを理由に養子縁組の話しが一時中断になったことが原因とされています。この事件は、「村上一族鏖殺事件」と呼ばれ、実行犯の2名もその場で自害しました。
これは、相良氏とは直接関係がありませんが、家臣の監督不行き届きとして藩主が罰せられてもおかしくない事件です。

3度目の内乱は、8代藩主相良頼央が鉄砲により暗殺された事件です。なお、2代~7代目藩主までの間、人吉藩は水害は飢饉に悩まされ、藩政が逼迫します。また、人吉藩はキリシタン禁令だけでなく、浄土真宗の信仰を禁止しており、信者が集団自殺するなどの事件も発生しました。さらに、藩政改革を巡って7代目藩主相良頼峯の時代、相良一族で小衆議派である「門葉」と家老の対立が深まります。結果的に、頼峯が門葉を指示したことで家老は劣勢に追い込まれますが、門葉が藩医と共謀し、藩主を毒殺しようとした陰謀が明らかになりました。最終的に門葉一派は処罰されますが、7代目藩主相良頼峯も24歳の若さで死亡します。そしてこの一件が、8代目藩主相良頼央の遠因となるのです。

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AYAME
執筆者 (ライター) 江戸時代を中心とした歴史大好きライターです。 趣味は史跡と寺社仏閣巡り、そして歴史小説の読書。 気になった場所があればどこにでも飛んでいきます。 最近は刀剣乱舞のヒットのおかげで刀剣の展示会が増えたことを密かに喜んでいます。
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