駿府藩(2/2)幕府の直轄地
内藤家の家紋「内藤藤」
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なお、いくら重要な職種でも駿府城代の記録はほとんど残っていません。
幕末から明治に移り変わる際、徳川慶喜に変わって徳川家の宗主の地位についた徳川家達が一時期駿府藩を復活させて藩主の座に就きます。
このとき、徳川家達はまだ10歳未満の幼少で、藩主といえどもほぼ名目上のものであり、実際の政務は準中老の大久保一翁が勤め、その補佐役として勝海舟や山岡鉄舟らが任じられました。
そのとき、駿府藩の財政は急激に悪化してしまい、これを建て直すために渋沢栄一が起用されました。
明治4年廃藩置県によって駿府藩は正式な廃藩となり、徳川家達は東京に移住してのちに英国に留学します。
その後、徳川家達は貴族院議長などの要職を歴任し、一時期は首相候補にもなりましたが結局は実現せず、76歳まで国政にかかわりました。
駿府藩まとめ
駿府藩は一時期徳川家康の子どもや孫によって治められましたが、徳川家光の弟の忠長を最後に直轄地となりました。
もし、このまま代を重ねていれば、御三家に並ぶ有力な親藩になっていたかもしれません。
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- 執筆者 AYAME(ライター) 江戸時代を中心とした歴史大好きライターです。 趣味は史跡と寺社仏閣巡り、そして歴史小説の読書。 気になった場所があればどこにでも飛んでいきます。 最近は刀剣乱舞のヒットのおかげで刀剣の展示会が増えたことを密かに喜んでいます。