水戸藩(2/2)徳川御三家のひとつ

水戸藩

徳川家の家紋「三つ葉葵」

記事カテゴリ
藩史
藩名
水戸藩(1602年〜1871年)
所属
茨城県
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水戸城

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献金郷士制度という、一種の寄付を廃止したせいでますます藩政は傾き、藩主の座に就いているとき、藩士の給与を50%削減しています。

この時期より、支藩である守山藩領の鹿島郡松川の近海に異国船が出没するようになり、海防の強化も求められるようになりました。
徳川治紀は八方塞がりのような厳しい状況の中、44歳で急死します。

8代藩主徳川斉脩は聡明な人物でしたが、体が弱く生涯一度も水戸の地を踏むことはありませんでした。将軍徳川家斉の七女峰姫を正妻にしたため幕府から援助を受けることができ、財政難は一時的にやや解消に向かいます。

しかし、生来の体の弱さがたたり33歳の若さで亡くなりました。
彼が藩主であったとき、水戸藩領の北端部、付家老中山家の知行地である大津に異人12人が上陸する事件が起こっています。

幕府は彼らに野菜や鶏肉、水を与えて船員全員を本船かえしていますが、水戸藩ではこの幕府の姿勢に対する批判が巻き起こり、水戸藩において攘夷思想が広がるきっかけになったといわれています。

9代藩主徳川斉昭は、最後の将軍徳川慶喜の実の父です。
会沢正志斎のもとで水戸学を学び、藩主になってからは今も建物が残る弘道館を設立、藩内部から広く優秀な人材を集め、藩政改革に乗り出しました。

また、西洋の兵器の国産化にも意欲を示し、寺院の鐘などの金属を徴収して大砲の弾丸をつくるなども行っています。
このような行いは仏教弾圧であると激しく非難され、弘化元年(1844年)に強制隠居を求められるきっかけとなります。
しかし、徳川斉昭の復帰を求める下士の運動などもあり、弘化3年(1846年)に謹慎を解かれた後、嘉永2年(1849年)には幕政にも関与するようになります。

安政2年(1855年)に軍制改革参与になったものの、強硬な攘夷論を曲げず、開国を迫る老中井伊直弼と対立します。
最終的に徳川斉昭は井伊直弼に敗れ、安政6年(1859年)に永蟄居を命じられて政治生命を絶たれました。
その翌年、蟄居令は解けないまま61歳で急逝しています。

10代目藩主徳川慶篤は、徳川慶喜の実兄にあたります。父の蟄居により幼年で藩主の座に就き、成長してからは文久2年(1862年)の坂下門外の変で、武田耕雲斎らを登用して尊皇攘夷派の懐柔を試み、生麦事件の賠償問題に関わるなど、調停役として力を発揮します。

一方水戸藩では水戸藩第8代藩主・徳川斉脩が後継を決めずになくなってしまったことから端を発して誕生した「天狗党」が力を付け、元治元年(1864年)についに乱を起します。
徳川慶篤は当初天狗党に味方していましたが、幕府が天狗党の討伐を決定すると、てのひらをかえして、天狗党の処罰を決定しました。

この藩主の心変わりにより藩政は混乱し、以後数年間保守門閥派である諸生党が水戸藩の実権を握ることになります。
また、天狗党も同じ藩士であり、処刑者が多数出たことから、この乱は藩内に深い遺恨を残しました。

その後、慶応4年(1868年)在京の水戸藩士・本圀寺勢に託された「除奸反正」の勅書により、徳川慶篤は藩の実験を握っていた諸生党の討伐を決意、実行します。

その結果、尊攘派が水戸藩江戸邸の実権を握り、水戸徳川家は朝敵とみなされることはなくなりました。
しかし、この討伐をきっかけに天狗党による激しい報復が水戸藩で行われ、諸生党だけでなく中立派の人々まで数多く犠牲となりました。
この混乱の最中、徳川慶篤は37歳で死亡します。

最後の藩主徳川昭武は、徳川慶喜の異母弟にあたります。
藩主になる前、パリ万国博覧会開催時に将軍慶喜の名代としてヨーロッパに派遣させられ、名代の任を終えた後そのままパリへ留学していました。
その間に大政奉還が行われて江戸幕府が消滅します。

紆余曲折遭って帰国した直後に兄、徳川慶篤の死亡を告げられ、そのまま藩主になります。
そのころ、水戸藩では藩士の分裂を抑えきれず、弘道館戦争が勃発しました。
藩主時代は箱館戦争にも参戦しましたが、明治政府が樹立されて藩知事となり、廃藩置県で罷免されてからは、陸軍戸山学校の教官になります。

その後、フランスに再留学して欧州を周遊し、半年間ロンドンにも滞在して1年後に帰国しました。
晩年は自転車や狩猟、写真、園芸などの多彩な趣味を有し、彼の撮影した写真は今でも貴重な資料として残されています。

水戸藩まとめ

水戸徳川家は明治になって松戸徳川家となり、現在も存続しています。
当主は学者肌が多く、日本の文化面で大いに貢献しました。
その一方で、藩政は苦しく一揆や逃散なども頻発しました。

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AYAME
執筆者 (ライター) 江戸時代を中心とした歴史大好きライターです。 趣味は史跡と寺社仏閣巡り、そして歴史小説の読書。 気になった場所があればどこにでも飛んでいきます。 最近は刀剣乱舞のヒットのおかげで刀剣の展示会が増えたことを密かに喜んでいます。
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