唐津藩(2/2)5つの大名家が治める
小笠原家の家紋「三階菱」
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水野家初代藩主の水野忠任は三河国岡崎藩の時代、前藩主の水野忠辰が藩の財政を建て直そうとかなり無茶な藩政を敷き挫折、その反動で遊蕩にふけるようになり、家臣によって無理矢理藩主の座を降ろされた上の代替わりという異色の経歴を持っています。
唐津藩にやってきた水野家の財政は火の車だったので、それを建て直そうと増税に踏み切りましたが、領民の反発を受けて虹の松原一揆などが勃発しました。
跡を継いだ水野忠鼎も藩政の建て直しを試みますが、天明の飢饉により挫折します。
その後を継いだ水野忠光もたいした功績は残せんでした。
水野家最後の当主となったのが、幕府で天保の改革を推し進めた水野忠邦です。
水野忠邦は、幕閣になりたいと強く望み、幕府に賄賂を送って実封25万3,000石の唐津から実封15万3,000石の浜松藩へ転封します。
これにより、水野家の唐津支配は終りました。
水野家が去った後、陸奥国棚倉藩から小笠原家が移封され唐津藩の藩主になります。
初代藩主の小笠原長昌は、陸奥国棚倉藩から抱えていた借金を何とかしようと国政に奮闘しますが効果はありませんでした。
跡を継いだ小笠原長泰は領民に重税を課して領内を徒に荒らすだけで終わり、その後を継いだ小笠原長会は天明の大飢饉に苦しめられながら27歳で早世、後継の小笠原長和も、領内に反発する一揆の対応に苦労しながら20歳で夭折、最後の藩主となった小笠原長国は、幕府の老中にまで出世します。
ちなみに、彼の養子は最後まで幕府軍に味方して戊辰戦争を戦い抜いた小笠原長行です。
小笠原長国自身は幕府の重鎮でありましたが、幕府の旗色が悪くなると戊辰戦争後に佐賀藩前藩主鍋島直正を通じて新政府に降伏し、養子長行ともそこで義絶しています。
そのため、小笠原長行が最後の藩主と見るかどうかは、未だに結論が出ていません。
唐津藩まとめ
唐津藩は5つの家が治め、国政に関わる大名も輩出しましたが唐津藩事態は地方の一藩としてひっそりと存続しました。
ちなみに、小笠原長行の長男、小笠原長生は海軍に所属していましたが、文才に長け、90歳まで長生きしました。
彼は、日清・日露戦争の公刊戦史編集や著作、講演で活躍し、東郷平八郎に関した書籍もたくさん執筆しています。
なお、小笠原家は現在も存続しており、16代目当主にあたる小笠原一憲氏は東京で不動産業を営む実業家です。
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- 執筆者 AYAME(ライター) 江戸時代を中心とした歴史大好きライターです。 趣味は史跡と寺社仏閣巡り、そして歴史小説の読書。 気になった場所があればどこにでも飛んでいきます。 最近は刀剣乱舞のヒットのおかげで刀剣の展示会が増えたことを密かに喜んでいます。