鳥取藩(1/2)3つの池田家が治める
池田家の家紋「備前蝶」
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鳥取藩は、因幡国・伯耆国(現在の鳥取県)を治めた大藩です。石高は32万5千石と高く、江戸時代を通じて池田氏が治め続けていました。
なお、この池田氏は3つの家があり、江戸時代初期は同じ池田氏の間で領地交換などが行われてきました、
そんな鳥取藩の歴史を紐解いていきましょう。
池田輝政の弟が治めた江戸時代初期
関ヶ原の戦いの後、鳥取藩成立させたのは姫路城を現在の姿にしたことでも有名な池田輝政の弟、池田長吉です。
長吉は、2代目藩主となった池田長幸とともに鳥取城を改築して近世城郭に城下町を整備し、鳥取藩の基礎を作りました。
池田長幸は、2代目藩主になってすぐ、5千石増加されて鳥取から備中松山へ国替えになります。
その後、鳥取藩に入ったのは池田輝政の孫にあたり、姫路城主であった池田光政です。
3代藩主になった池田光政は、姫路城主だった頃にくらべて10万石の減石されたうえ、家臣の数はそのままだったので、土地の配分や家臣を養うすべに苦労しました。
結果的に臣下の俸禄は姫路時代の6割に減らされ、下級武士は住む場所もないので土着して半ば農民のように暮らすようになりました。
それでも、鳥取城の増築、城下町の拡張などを行います。
寛永9年、叔父に当たる岡山藩主池田忠雄が死去しました。
跡を継いだのは3歳の甥、池田光仲です。そして、3歳の幼さでは山陽道の要所である岡山藩を治めきれないということで、光政が岡山藩へ、光仲が鳥取藩へとい所領替えが行われました。
なお、その後池田光政とその子孫が明治維新まで岡山を治めることになります。
幕末まで鳥取を治めた3つめの池田家の治世
さて、こうして岡山藩からやってきた4代目藩主の池田光仲は、ずっと江戸藩邸で暮らしており、藩主になって16年後の慶安元年(1648年)、はじめて鳥取の地に入ります。
ちなみに、池田光仲は徳川家康の曾孫に当たるため、幕府との結びつきが強く、自身も紀州藩主・徳川頼宣の長女・茶々姫を正室にしています。
領地に入ってからは積極的に藩政に取り組み、ときに筆頭家老を罷免するなどして自身の力を強化していきます。
そして、嫡男に家督を譲って隠居してからも支藩である鹿奴藩(鳥取東館新田藩)を作るなど、生涯藩政に関わり続けました。
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- 執筆者 AYAME(ライター) 江戸時代を中心とした歴史大好きライターです。 趣味は史跡と寺社仏閣巡り、そして歴史小説の読書。 気になった場所があればどこにでも飛んでいきます。 最近は刀剣乱舞のヒットのおかげで刀剣の展示会が増えたことを密かに喜んでいます。