宇和島藩(2/2)伊達家が治める

宇和島藩

伊達家の家紋「竹に雀」

記事カテゴリ
藩史
藩名
宇和島藩(1608年〜1871年)
所属
愛媛県
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宇和島城

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現存天守
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また、藩主であったときに享保の大飢饉が起こりますが、その際に窮民の救済や倹約令の制定をして、財政改革を図ります。さらに、藩政にメスを入れて家臣団25か条の制定や軍制改革を行います。この民政に力を入れた改革は大成功を収め、二代目藩主伊達宗利のころから始まった紙の専売も成功します。

そのため、伊達村候は宇和島藩の中興の祖として今でも人気があります。
しかし、晩年になると天明の大飢饉が発生し再び財政が悪化、藩内では百姓一揆が相次ぐようになりました。

6代目藩主伊達村寿は父の跡を継いで改革を続けようとしますが、老中の稲井甚太左衛門と番頭の萩森宏綱が対立し、萩森宏綱が稲井の屋敷に押し入り刃傷沙汰に及ぶという萩森騒動が起こるなどし、改革は難航します。

しかし、7代目藩主の伊達宗紀は大坂商人と交渉して借金を無利息200年賦返還にしてもらったりハゼ蝋の専売化したりしてやや強引に改革をすすめ、成功を収めました。
また、特産の塩やスルメの生産を保護したり農業の技術改良なども推奨したりします。

8代目藩主である伊達宗城に家督を譲るまでに6万両もの蓄財に成功しました。
なお、伊達宗紀は伊達宗城に家督を譲って江戸藩邸に隠居した後、ペリー来航のときに幕府へ開国を献策したと伝わっています。
伊達宗城は宇和島藩きっての長寿であり、明治時代まで健康に生き延びて明治天皇から下賜品を賜っています。

9代目藩主伊達宗城は家督は譲られたものの実権は父伊達宗紀に握られ、最後までお飾りの立場だったと伝わっています。
明治になってからは貴族院侯爵議員となり、国政に携わりました。
9代目藩主以降も宇和島伊達家の血筋は絶えず、徳川家や皇族とも婚姻を行っています。
1905年生まれの伊達彰さんは、大蔵省に入省して内閣総理大臣秘書官を務めました。

現在の投手である伊達宗信さんは伊達彰さんの孫に当たり、現在は13代目宇和島伊達家家当主として公益財団法人宇和島伊達文化保存会理事長などを務めています。

宇和島藩まとめ

宇和島藩は仙台伊達家から枝分かれした宇和島伊達家によって治められ、財政難や仙台伊達家との関係に苦しみながらも明治まで続きました。土佐藩や丸亀藩など幕末に大活躍した藩がすぐ近くにありながら、幕末の戦いにはあまり関わらず、静かに明治時代を迎えています。
今でも、13代目藩主が宇和島に残る藩の史跡や不動産などを管理し、文化や歴史の継承に努めています。

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AYAME
執筆者 (ライター) 江戸時代を中心とした歴史大好きライターです。 趣味は史跡と寺社仏閣巡り、そして歴史小説の読書。 気になった場所があればどこにでも飛んでいきます。 最近は刀剣乱舞のヒットのおかげで刀剣の展示会が増えたことを密かに喜んでいます。
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