甲府藩幕府の直轄地でもあった
尾張徳川家の家紋「尾州中納言葵」
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甲府の地は武田氏が戦国時代半ばまで支配していた交通の要所でした。武田氏が織田氏に滅亡され、織田氏もまた本能寺の変で織田信長が討たれた後、甲府の地は後北条や徳川、さらに上杉が所有権を巡って争い、「天正壬午の乱」と呼ばれる戦が勃発しました。
最終的に甲府は江戸幕府の要所となり、親藩の「甲府藩」とになったり直轄地になったりします。
そんな甲府藩の歴史を紐解いていきましょう。
江戸幕府の要所であった甲府
甲府は、戦国時代半ば「武田信玄」の名で有名な武田晴信によって発展した関東の要所です。江戸に徳川家康が移封されるまでは、甲斐の地は後北条氏が治めた小田原等と並んで関東の中では城下町が整備され、発展した都市でした。
武田氏が織田氏によって滅亡してさらに織田氏も「本能寺の乱」で勢力が衰えた後、甲府の地は後北条や徳川、さらに上杉が所有権を巡って争い、「天正壬午の乱」が勃発します。この乱によって信州の国人である真田家が力を増したほか、後北条氏の家勢が衰えるきっかけにもなります。
甲府は豊臣秀吉の命によって甲府城が築城され、豊臣秀勝や浅野長政といった豊臣政権の重臣が治めていました。慶長6年(1600年)に関ヶ原の戦いに徳川家康が勝利し、江戸幕府を開くと甲府は徳川家康の八男、徳川仙千代や九男、徳川義直が名目上の藩主を務める直轄地となりました。
なお、八男、九男も幼少であったため、実際に藩政を担ったのは平岩親吉 などの後見人でした。その後二代目将軍徳川秀忠の三男、徳川忠長が城代となって藩を治めます。
徳川忠長は幼名を「国千代」といい、三代将軍徳川家光の実弟に当たる人物です。実母、江(豊臣達子)に愛されて育ち、三代将軍にと望まれていた聡明な子どもだったという逸話が有名ですが、成人してからは素行が良くなく、改易されて藩主の座から降ろされてしまいました。
その後、甲府では代将軍家光の三男の徳川綱重が 甲府藩を開き、後年、六代目将軍徳川家宣となる徳川綱豊が跡を継ぎ、さらに柳沢吉保へと藩主の座が移動します。将軍から側用人へと藩主の座が受け継がれた非常に珍しい例です。
甲府藩廃藩
享保9年(1724年)八代将軍徳川吉宗は幕府の財政改革を目的に「享保の改革」を実施します。
その一環として、甲府藩を直轄地として柳沢吉保の跡を継いで甲府藩を継いだ柳沢吉里を大和国郡山藩に移封させ、幕府の直轄地としました。甲府藩は事実上廃藩となります。
しかし、その10年後の享保19年(1734年)後世「御城内御金紛失一件」 と呼ばれる事件が発生します。この事件は甲府城の金蔵が破られて約1400両(約1億8000万円)が盗まれたという事件です。「犯人」とされる人物が逮捕されるまで9年もの時間がかかり、城番を務めていた役人が何人も処分されました。威信を傷つけられたと感じた幕府は現在の懸賞金に近いものまでかけて犯人を捜し求めましたが、「犯人」とされた人物が本当に犯人だったのか、現在も謎といわれています。
ちなみに、犯人は市中引き回しのうえ処刑されています。
この事件は当時もセンセーショナルに伝わり、「甲金禄」などのフィクションも生まれました。
さらに、寛政4年(1792年)には太枡騒動、天保7年(1836年)天保騒動という二度の大規模な一揆が起こります。いずれも重税や米の買い占めなどの反発が原因で、いずれも幕府によって制圧され首謀者は処刑されています。しかし、天保騒動は大塩平八郎の乱と同時期の騒動で、社会不安が広がりました。甲斐国でも当時の反社会的な存在である博徒が増えたという記録が残っています。
つまり甲府は幕府の直轄地になったものの、飢饉や騒動が続き幕府にとって頭の痛い存在になりました。
甲州勝沼の戦い
幕末、甲府の地は新撰組の近藤勇が再起をかけて挑んだ柏尾の戦いで有名な「甲州勝沼の戦い」の部隊になりました。近藤勇率いる旧幕府軍は、江戸防衛の一環として甲府を重要拠点と考え、甲府城を守るために進軍しました。しかし、近藤勇は甲府城を奪還して大名になることがすでに決定事項であるかのような振る舞いをしたため、士気はゆるみ明治新政府軍に後れを取り甲府城の奪取には失敗しました。新政府軍の主力は、薩摩藩や長州藩などの西国諸藩で構成されており、近代的な装備と戦術で旧幕府軍を圧倒し、柏尾の戦いは僅か2時間で決着し、近藤勇は捕縛されて最終的に処刑されました。
この戦いは五稜郭の戦いと並んで新撰組が関係した戦いの中では有名なため、何度も映像化されています。甲州勝沼の敗戦がきっかけとなり、徳川慶喜は江戸城の無血開城を選びました。
まとめ
甲州藩は幕府の直轄地であった歴史が長く、藩主も徳川家のものが大半です。小江戸として栄えた土地でしたが、何度も一揆や打ち壊しが起こり、倒幕のきっかけとなった戦いの舞台にもなるといったドラマチックな藩でもありました。
明治以降甲州の地はぶどう栽培が盛んになり、現在は国産ワインの有名な産地として世界的にも有名です。
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- 執筆者 AYAME(ライター) 江戸時代を中心とした歴史大好きライターです。 趣味は史跡と寺社仏閣巡り、そして歴史小説の読書。 気になった場所があればどこにでも飛んでいきます。 最近は刀剣乱舞のヒットのおかげで刀剣の展示会が増えたことを密かに喜んでいます。