津山藩森蘭丸の弟が立藩

津山藩

森家の家紋「鶴の丸」

記事カテゴリ
藩史
藩名
津山藩(1603年〜1871年)
所属
岡山県
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津山城

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津山藩は、岡山県東北部に位置する美作国の大半を統治していた藩です。江戸時代以前は関ヶ原の戦いで東軍勝利のきっかけを作った小早川秀明が納めていました。江戸時代に入ると、本能寺で織田信長と運命を共にした森蘭丸の弟、森忠政が封じられて津山藩を開きました。
そんな津山藩の歴史を紐解いていきましょう。

江戸時代以前の津山藩

江戸幕府が開かれる前、津山の土地は関ヶ原の戦いで東軍勝利のきっかけを作った小早川秀明が拝領していました。小早川秀明は関ヶ原の戦い以前は筑前・筑後 を納めていましたが、関ヶ原の戦いの功績によって、岡山に移封されます。小早川秀明は岡山城に入場し治世を行いますが、すでにアルコール依存症によって心身に不調が出てきていたと記録に残っています。

結局、小早川秀明は子孫を残さずに亡くなり、小早川家は改易となりました。
小早川家の改易により、津山は「森忠政」に与えられます。森忠政は、本能寺の変で織田信長と運命を共にした森蘭丸の弟にあたります。森忠政も兄同様織田信長に小姓として仕えていましたが、信長の前で同僚とケンカをしてしまい、「まだ小姓になるには早すぎる」と親元に返されます。
結果的にこのことで森忠政は本能寺の変にまきこまれずにすみました。

その後、森忠政の兄にあたる可長が小牧長久手の戦いで戦死してしまうと、末子の彼が森家の家督を継ぎました。森忠政ははじめは豊臣秀吉に仕えますが、彼が亡くなると徳川家康に接近し関ヶ原の戦いでは東軍に味方しています。森忠政は、関ヶ原の戦いが起こった慶長6年(1600年)に信濃の川中島を拝領して藩主となっていましたが、その最中に検地を行って領民に重税を課し、それに反発した人々が一揆をおこすと、武力で容赦なく鎮圧しています。また、兄である長可を裏切った高坂昌元の一門を探し出 して処刑した記録も残っており、苛烈な性格の人物であったようです。

森忠政は津山に入ると津山城を建築、城を立てた場所を鶴山から津山に替え、同時に城下町の整備もおこないました。

森家の統治

森家の治世は、森忠政を始祖として5代目の衆利までで100年近く津山藩を統治しました。初代森田忠政の時代から家老同士の争いなどが定期的に起こっていました。また、4代目藩主森長成は5代目将軍徳川綱吉の「生類憐みの令」に賛同し、野良犬を収容する犬小屋を建てる費用を負担したため藩の財政が傾いていきます。5代目藩主森衆利 も犬小屋の普請総奉行 に命じられましたが、任務の途中でにわかに発狂し、そのまま藩主の座を無理やりおろされ、子どもがいなかったことで森家は改易されました。

松平家の統治

森家が改易されると、越前松平家の分家である松平康長が美作国に入部し、津山藩の新たな藩主となりました。以後、明治維新まで松平家が津山藩を支配します。外様大名から親藩に変わった珍しい事例です。

松平家初代当主である松平康長が藩主の頃、江戸藩邸が火事により焼失、その建て直しの費用などで早々に藩の財政が悪化していきました。2代目藩主松平浅五郎はわずか11歳で藩主になり、すぐに早世してしまいます。3代目藩主松平長煕は末期養子として認められた藩主ですが、石高を10万石~5万石に減らされたうえ、官位なども冷遇されるようになりました。しかも、「山中騒動」と呼ばれる農民一揆が発生しました。藩政側は事態収拾に当たって一揆側の要求を大幅に受け入れる苦渋の決断をします。このような心労が祟ったのか、彼は16歳の若さでなくなりました。

その後、津山藩は一揆や打ちこわしが度々起こり、藩の治世はなかなか安定しませんでした。そんな中でも、浮世絵師の 北尾政美を召し抱えるなど文化的な活動も行っています。

8代目藩主松平斉民の時代、やっと石高が10万石に復帰します。松平斉民は徳川家斉の15男にあたり、最後の将軍徳川慶喜の異母弟にあたります。そのため、石高が復帰したという説もあります。勤皇、佐幕の方針をめぐって混乱した藩内を勤皇に統一した後、財政再建に乗り出して一定の成果を得ます。さらに、16代目将軍になる予定だった徳川家達の貢献も務めました。

また、「篤姫」の名称で知られている天璋院とのつながりも深く、彼女が亡くなった際は悲哀のこもった和歌を残しています。なお、養子の松平慶倫が名目上最後の藩主ですが、8代目藩主松平斉民よりも早く亡くなっているので、実質8代目藩主が最後の藩主扱いです。

津山藩まとめ

津山藩は一揆や打ちこわしなど領民の反乱が記録に残っており、藩政が落ち着かない藩だったようです。それでも、松平家の藩主たちは藩校を開いたり絵師を召し抱えたりといった文化的な活動にも力を入れました。なお、津山藩の藩主であった松平家はまだ子孫が残っており、徳川家斉直系の子孫ということで、文化的な活動に力を入れています。

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AYAME
執筆者 (ライター) 江戸時代を中心とした歴史大好きライターです。 趣味は史跡と寺社仏閣巡り、そして歴史小説の読書。 気になった場所があればどこにでも飛んでいきます。 最近は刀剣乱舞のヒットのおかげで刀剣の展示会が増えたことを密かに喜んでいます。
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