大垣藩東海地方の要所

大垣藩

戸田家の家紋「九曜」

記事カテゴリ
藩史
藩名
大垣藩(1601年〜1871年)
所属
岐阜県
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大垣城

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大垣藩は美濃国大垣周辺、現在の岐阜県大垣市周辺を藩領とした藩です。戦国時代は美濃と近江国を結ぶ要所として織田家と斎藤家が大垣城を巡って戦いを繰り広げました。江戸時代初期も短期間で3つの家が目まぐるしく入れ替わりますが、寛永12年(1635年)に戸田氏鉄が城主となると以後明治維新まで戸田氏が城主を務めました。そんな大垣藩の歴史を紐解いていきましょう。

交通の要所であった大垣

戦国時代、大垣は近江へ続く交通の要所として重要視された土地です。「マムシ」の異名で知られる斎藤道三と織田信長の父、信秀が支配権をめぐって何度もぶつかり合い、賤ケ岳の戦い以降は羽柴秀吉(豊臣秀吉)の支配下におきました。なお、豊臣家も大垣を重要視しており、大垣城の城主は豊臣秀吉の甥豊臣秀次をはじめ、豊臣秀長、加藤光泰、一柳直末、豊臣秀勝など重鎮が務めています。

慶長6年(1600年)に起こった関ヶ原の戦いでは石田三成の本拠地となり、大垣城周辺を合戦地として激しい戦いが繰り広げられました。そのとき、城主を務めていた三成の妹の夫にあたる福原長堯は、主な武将が裏切ったり謀殺されたりした中でも降伏せず、9月14日~23日までの9日間、城を守り抜きました。

なお、この戦いの最中に城で過ごした女性の体験談が後に「おあん物語」という読み物になり、現代にも伝わっています。

江戸時代の大垣藩

大垣藩は、家康譜代の家臣・石川康通が上総国鳴渡から5万石で移封されて開藩しました。
その後、戸田氏が治め始めるまで松平(久松)家、岡部家の3家が2~3代おきに藩主になっています。

いずれも徳川家康の信頼が篤い譜代や親藩大名であり、江戸幕府も大垣を重要視していたことがわかります。3つの家が治めている間に大垣藩は城下町が整えられ、検地が行われて藩としての体制が整えられていきました。

寛永12年(1635年)に大垣藩の藩主となった戸田氏鉄は、徳川家康の近習であり島原の乱では副将格に任じられ、戦功をあげました。さらに4代将軍徳川家綱が誕生した際、臍の緒を切断する箆刀の役を担っています。このことからも、戸田氏鉄が幕府に重用されていたことがわかります。

彼は有能な統治者でもあり、大垣藩藩主となった後は新田開発や治水工事などを成功させ、藩の財政を安定させました。また、修養を説いた『八道集』などを著すなど文化的な一面もありました。

戸田氏の血統は優秀な人物が多く、二代目藩主戸田氏信や、三代目藩主戸田氏西などはそれぞれ幕府の普請や藩の財政改革などで一定の功績を残しています。しかし、三代目藩主戸田氏西の頃から、大垣藩の財政悪化は顕著となっていきました。

余談ですが、4代目藩主戸田氏定は播磨赤穂藩主浅野長矩の母方従兄弟にあたり、彼が松の廊下で吉良義央(吉良上野介)に切りつけた罪で切腹になった際、連座制で出仕停止の処分を受けました。

しかも、その子である5代目藩主戸田氏長は自分の娘婿にあたる松本藩藩主水野忠恒が、松の廊下で長府藩世子の毛利師就に切りかかるという悲劇に見舞われています。

7代目藩主戸田氏教は幕府の老中まで出世し、ロシアとの外交政策で手腕を発揮します。

この頃、ロシアには大黒屋光太夫をはじめ、複数人の日本人が船の難破などで漂流していました。ロシアは漂流民を日本に帰すといった名目で日本を訪れ、北海道や長崎等での通交を求めます。戸田氏教はロシアが北海道へ侵攻してくるのを警戒して蝦夷奉行を設置して蝦夷地を幕府の直轄地とするなどの政策を打ちました。その結果ロシアとの通交は実現せず、ロシア船が日本に近づいた際には話し合いで退去してもらう政策がとられ、これは幕末まで続きました。

戸田氏教は藩主としても有能で、教育や治水について勤倹し自ら模範となり「中興の祖」として現在も称えられています。

幕末になると大垣藩は幕府方につき、10代目藩主戸田氏彬は、禁門の変で長州藩の家老である福原元僴が率いる軍勢を伏見街道で破るといった功績をあげます。12代目、最後の藩主であった戸田氏共が鳥羽・伏見の戦いで徳川慶喜に味方し、そのせいで朝敵として入洛禁止を命じられています。しかし、家臣の小原鉄心が藩論を勤王・恭順にまとめ上げことにより、氏共は上洛して政府に謝罪したことで、無事に朝敵から除外されました。

明治維新後は伊藤博文と共に欧州へ赴き、のちにオーストラリア・ハンガリー全権大使などを務め、83歳の長寿を全うしました。

まとめ

大垣藩を治めた戸田氏からは優秀な藩主が多数輩出され、財政難で苦しんだものの大きな破綻は見られずに幕末を迎えました。特に、7代目藩主戸田氏教は知名度こそ高くありませんが、ロシアとの外交で優れた手腕を発揮しています。
なお、戸田氏の血統は現在まで続いています。

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AYAME
執筆者 (ライター) 江戸時代を中心とした歴史大好きライターです。 趣味は史跡と寺社仏閣巡り、そして歴史小説の読書。 気になった場所があればどこにでも飛んでいきます。 最近は刀剣乱舞のヒットのおかげで刀剣の展示会が増えたことを密かに喜んでいます。
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