富山藩加賀藩の支藩

富山藩

家の家紋「」

記事カテゴリ
藩史
藩名
富山藩(1639年〜1871年)
所属
富山県
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富山城

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富山藩は、加賀藩の支藩として加賀藩第3代藩主前田利常の次男にあたる前田利次によって開かれ、明治維新まで前田家が藩主を務めました。
そんな富山藩の歴史を紐解いていきましょう。

越中売薬で財政を支えた藩

富山藩は寛永16年(1639年)に加賀藩第3代藩主前田利常の次男にあたる前田利次によって10万石で開かれた藩です。初代藩主前田利次は当初領内の婦負郡百塚の地に新規に居城を建設することを計画し、幕府に許可を得ていましたが財政難で築城が叶わず、やむを得ず加賀藩にかけ合って富山城がある土地と領地の一部を交換し、富山城を改修して居城としたという記録が残っています。つまり、富山藩の財政は開藩当時から決して豊かではありませんでした。

初代藩主前田利次は藩法である「小松御条目」の制定、新田開発、治水工事、家臣団の整理、城下町の建設などを行って藩政の基礎を固めます。しかし、加賀藩の支藩という立場上、藩の財政を支える米が取れやすい土地をはじめ、良い土地をほとんど加賀藩に抑えられており、新田開発など農業を盛んにして藩を豊かにするのは難しい状態でした。
そのため、富山藩は明治維新で藩が亡くなるまで財政難に苦しむことになります。

2代藩主前田正甫は自身が病弱であったことから薬学に興味を持ち、合薬の知識が豊富でした。彼は、江戸城で腹痛を起こした三春藩主の秋田輝季に自分で調薬した「反魂丹」を服用させたところ腹痛が驚異的に回復したという逸話の主人公でもあります。

現在でも有名なこの逸話に史実の裏付けはありませんが、薬草学に明るかったのは史実です。また、富山藩には立山連峰を拠点として修行に励む修験者達がおり、彼らの中にも薬学に明るい者がいました。

前田正甫は領地から出て全国どこでも商売ができる「他領商売勝手」を発布して領民が全国で売約できる仕組みを整えます。同時に、に富山城下の製薬店や薬種業者の商売を保護して産業の一環として売約を奨励します。合薬や売薬は全国的に行われていましたが、藩の産業として奨励したのは富山藩が初めてです。

江戸時代後期になると売薬業は富山藩の一大産業になります。商人達は売薬の心得(商売道徳)を確立して信頼を高め、藩は「反魂丹役所」という組織を設立して商売を保護しました。

このような取り組みにより、富山の薬売りが販売する薬は信頼を高め、現在まで続く「置き薬」のシステムが構築されたのです。ちなみに、薬を使った分だけ後払いする「先用後利」というシステムも、藩の後ろ盾があってこそできたことです。

なお、反魂丹役所は薬売りたちを統括し、偽薬等を取り締まるだけでなく薬種の仕入れ代金を貸すなどの資金援助も行いました。

このほか、富山藩内に開かれた庶民の教育機関「寺子屋」では読み書きよりも算術(算数)が重要視され、『薬名帳』や『調合薬付』などの売薬、合薬に関する本が教本として用いられたという記録が残っています。

藩主も薬売に貢献

10代藩主前田利保は、福岡藩主黒田斉清とともに博物大名として知られた人物です。彼が藩主だった頃富山藩の財政はますます逼迫し、ついに幕府から参勤交代を免除されるまでになります。藩札などを発行しましたが効果はなく、凶作が財政逼迫に追い打ちをかけます。

前田利保は、陶器製造業、薬草栽培などの産業を奨励し、自身でも本草学者岩崎灌園等に師事し、「本草通串」「本草徴解」「本草通串澄図」「万香園裡花壇綱目」などを執筆しました。

なお、この本の挿絵を描くために富山藩では版画の技術が飛躍的に向上し、売薬のおまけとして配る「売薬版画」が誕生します。富山藩で盛んになった版画はやがて「富山絵」として全国的に有名になります。
また、前田利保は城の東北に隣接した地域に広大な千歳御殿を造営し、ここで隠居生活をおくりました。

本家前田家との関係

富山藩は加賀藩の支藩であり、加賀の前田家とは本家・分家のような間柄です。そのため、加賀藩の前田家はたびたび富山藩に介入しています。10代藩主前田利保の隠居後、後継を巡って家臣団が割れ、お家騒動が起こりましたが、これにも当時の加賀藩主が解決に介入しています。また、11代藩主は12代加賀藩主前田斉泰の子ども、利同が任命され、彼の家臣団として加賀藩から家老が派遣され、以後明治維新まで加賀藩の富山藩への政治介入は続きました。

なお、前田利同は明治維新後にフランス公使館書記生から外務省御用掛、宮内省の式部官など新政府の要職を歴任し、伯爵になっています。

富山藩まとめ

富山藩は加賀藩の支藩という立場上、開藩当時から財政も苦しく、歴代藩主たちは財政難に苦しめられました。しかし、財政難で米作以外の産業を奨励したからこそ、現在も続く「富山の薬売り」が誕生しました。なお、売薬は「配置薬の販売」として現在も続けられています。

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AYAME
執筆者 (ライター) 江戸時代を中心とした歴史大好きライターです。 趣味は史跡と寺社仏閣巡り、そして歴史小説の読書。 気になった場所があればどこにでも飛んでいきます。 最近は刀剣乱舞のヒットのおかげで刀剣の展示会が増えたことを密かに喜んでいます。
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