平戸藩戦国時代から明治まで平戸を支配した松浦氏が治める
松浦家の家紋「三つ星」
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平戸藩は、肥前国松浦郡と彼杵郡の一部、および壱岐国を治めた藩です。平戸藩を治めた松浦氏は戦国時代より平戸を支配してきた松浦氏によって開かれ、明治時代まで治められました。平戸藩は現在の長崎県平戸市にあった藩で、鎖国までは南蛮貿易で栄えましたが江戸からは遠く、外様大名に過ぎません。それでも、幕末は子女の1人が公家に嫁ぎ明治天皇の母を産むなど中央との結びつきは強かったです。
そんな平戸藩の歴史を紐解いていきましょう。
南蛮貿易の中心であった平戸
平戸はオランダ商船がはじめて寄港した日本の港であり、フランシスコ・ザビエルも立ち寄った地です。安土桃山時代から江戸時代初期、鎖国が完成するまではオランダ・イギリス等の商館が立ち並び、南蛮貿易の中心地となりました。
平戸藩を開き、幕末まで藩を治め続けた松浦氏は平戸の豪族「松浦党」から台頭してきた一族で、豊臣秀吉が九州を平定する前から恭順の意を示していました。そのため、松浦氏は秀吉から所領を安堵され、平戸での貿易で大きな利益を上げた裕福な大名でした。
松浦藩を開いた初代藩主松浦鎮信は政治的な手腕に優れており、秀吉が亡くなった後すぐに徳川家康に接近、関ヶ原の戦いでは息子が西軍につくも建築中の平戸城を破棄して忠誠心を見せるという荒技をやってのけます。その結果、所領を安堵してもらい63,200石で平戸藩を開きます。
4代藩主松浦重信の頃、幕府は鎖国政策を進めます。さらに平戸藩がオランダとの貿易を独占して巨額な利益と兵備を持っていることが幕府の知るところとなり、オランダ商館は閉鎖、出島に移されて貿易の利益は幕府が独占することになりました。平戸藩は一部の貿易で平戸の商人達が参加することを許しておりましたが、藩の内情は一気に苦しくなり、以後平戸藩は新田開発などにも力を注ぐことになります。
なお、藩の財政は5代藩主松浦棟が約100年越しの悲願、平戸城の再建築をしたことでさらに悪化します。その一方で、松浦棟は外様大名で有りながら寺社奉行などの幕府の要職に就いていました。きっと有能な人物であったことでしょう。
江戸時代の風俗や出来事を今に伝える甲子夜話
平戸藩は開藩から明治まで12人の藩主が治めましたが、その中で特に有名なのは9代目藩主の松浦清です。彼は藩主を引退した文化3年(1806年)より、随筆集「甲子夜話」の執筆を始めます。松浦清は藩主であった頃身分にとらわれない有能な人材の登用をしたり、藩校を作ったりするなど、優れた文治政治を行っています。本人も優れた文才があったらしく、甲子夜話は正編100巻、続編100巻、三編78巻にも及ぶ長大な随筆集になりました。
甲子夜話は、田沼時代から寛政の改革までの政治、諸大名や旗本の行動、事件、庶民の暮らし、風俗などを事細かく記したものです。江戸時代の風俗や事件、文化を知る上で大変貴重な資料となっており、現在も原文が出版されています。また、17男16女という子だくさんで、そのうちの十一女にあたる愛子という姫が公家の中山忠能に嫁ぎ、その娘が明治天皇を産んでいます。ちなみに、中山忠能は明治天皇を補佐して倒幕に力を尽した人物です。
皇室との縁が出来たお陰で、最後の藩主である松浦詮は明治天皇の側近となり、外様大名でありながら明治維新後は伯爵に任ぜられました。現在も残る松浦史料博物館は、彼の旧邸を改装したものです。
平戸藩まとめ
平戸藩を治めた松浦氏はオランダやイギリスとの貿易を行ってきた歴史を持ち、外様大名で有りながら幕府の要職にもついていました。9代藩主松浦清は「学芸大名」のあだ名をもち、江戸時代の優れた資料である甲子夜話を残しています。なお、松浦家は現在も続いており、平戸藩を治めた松浦氏の功績を伝える活動を行っています。
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- 執筆者 AYAME(ライター) 江戸時代を中心とした歴史大好きライターです。 趣味は史跡と寺社仏閣巡り、そして歴史小説の読書。 気になった場所があればどこにでも飛んでいきます。 最近は刀剣乱舞のヒットのおかげで刀剣の展示会が増えたことを密かに喜んでいます。