新発田藩新田開発に力をそそいだ

新発田藩

溝口家の家紋「溝口菱」

記事カテゴリ
藩史
藩名
新発田藩(1600年〜1871年)
所属
新潟県
関連する城・寺・神社
新発田城

新発田城

関係する城

新発田藩は、現在の新潟県新発田市を中心に下越地方の一部まで治めた藩です。元々は上杉氏に仕える新発田氏の所領でしたが、天正9年(1581年)に新発田重家が乱を起こし、上杉景勝に滅ぼされました。その後、溝口秀勝が新発田の地を与えられ、江戸幕府が開かれた後は新発田藩を起こします。大名の移封が頻繁に行われていた中、幕末まで溝口家が治め続けていた珍しい藩です。そんな新発田藩の歴史を紐解いていきましょう。

稲作には不向きの土地

新発田の地は、溝口秀勝が拝領した頃は信濃川・阿賀野川といった大川をはじめ河川が氾濫を繰り返し、水はけも悪く領地のほとんどが沼地・湿地・干潟など耕作に適さない土地でした。溝口秀勝は6万石の石高で新発田の地を拝領しますが、実際の石高は2万石ほどではなかったかと推測されています。新発田には「3年1作」という言葉がありました。これは、3年かけてようやく1年分の収穫高にしかならないといった意味です。

1653年~1917年の260年間に53回も水害が発生した記録も残っています。記録に残っていない水害も多数あったことでしょう。藩主となった溝口家も2代藩主溝口宣勝の代から、新田開発と干拓事業に乗り出します。しかし、領内で水利権を巡る争いが起こったり、新潟港の水深の変化を巡って長岡藩が干拓事業に反対してきたりと一筋縄ではいきませんでした。

3代目藩主溝口宣直の時代になると、度重なる水害だけでなく大火事によって新発田城の一部が焼け落ちて、大きな被害を受け財政難に陥ります。そのような苦難に遭いながら、4代目藩主溝口重雄の代に法制の整備が進んで総検地の実施など積極的な政策も行われるようになりました。

6代目藩主溝口直治の時代、紫雲寺潟干拓や阿賀野川・信濃川の大規模な治水工事が幕府の許可を得て始められます。しかし、干拓や治水工事を巡って長岡藩と利水の権利を求めて対立が深刻化し、さらに藩の財政にとっても大きな負担となりました。その心労が祟ったのか、溝口直治は26才の若さで病没しています。

7代藩主溝口直温の代になると、ようやく治水工事の効果が現れて一時的に水害が減って豊作が続きようやく財政難から脱却しかけます。しかし、豊作が続いて米の値段が下がったことに加え再び水害が起こるようになって財政難が再び悪化します。結局、溝口直温は家臣や領民の財産を半ば無理矢理借り上げる制作を取り、藩の財政が破綻しないように取り繕うしかありませんでした。

さらに、9代目藩主溝口直侯の時代、7代藩主・溝口直温の正室であった清涼院が藩政に口を出してこれまでの重臣が退けられ、清涼院の実家から付き従ってきた家臣が出世する事件が起こります。この一件により、幕府より陸奥国と2万石分の高替(領地交換)を命じられました。これにより、やっと治水が功を奏して収穫高が上がってきた土地と痩せた陸奥国の領地が交換され、藩の財政はますます悪化します。

幕末の新発田藩

10代目藩主溝口直諒の代より、異国船到来に伴う海防関係に力を入れるようになります。しかし、その経費が藩の財政をさらに圧迫しました。溝口直諒は、徹底した緊縮財政を行うなど藩の財政改革に力を尽しましたが、城下の大火や三条地震といった天災に加えて天保の大飢饉が追い打ちをかけ、成果は上がりませんでした。なお、溝口直諒は尊皇攘夷派で、その考えは11代目藩主、溝口直諒、最後の藩主である12代目藩主の溝口直正も同様でした。

しかし、周囲の藩からの圧力もあり、12代目藩主溝口直正は奥羽列藩同盟に加わります。戊辰戦争が勃発すると、溝口直正は、同盟に米沢藩に呼び出されて人質に取られそうになりますが、領民の蜂起などでかろうじて難を逃れました。その後、新発田藩は新政府軍が軍艦で領内に上陸したことで新政府側に恭順の意を示し、藩内には新政府の総督府も置かれます。戊辰戦争が終ると、明治天皇に拝謁するなどの栄光も得ました。しかし、藩知事を辞した後は経済的に困窮し、家宝を売却して生計を立てながら65才で病没しました。

新発田藩まとめ

新発田藩は稲作に適した土地が少なく、水害も頻発した治世が難しい藩でした。新発田藩は財政難と闘いながら治水・干拓を進めて稲作ができる土地を増やしていきました。なお、新発田市の治水工事は昭和39年まで続きます。同年、新潟地震の復旧工事と共に「親松排水機場」が完成してようやく腰まで泥に浸かりながら田んぼで作業をしたり、洪水の被害に怯えたりする必要がなくなったのです。

関係する城
AYAME
執筆者 (ライター) 江戸時代を中心とした歴史大好きライターです。 趣味は史跡と寺社仏閣巡り、そして歴史小説の読書。 気になった場所があればどこにでも飛んでいきます。 最近は刀剣乱舞のヒットのおかげで刀剣の展示会が増えたことを密かに喜んでいます。