二本松藩飢饉や人口の減少に苦しんだ
丹羽家の家紋「丹羽直違」
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二本松藩は、福島県二本松市一帯を治めていた藩です。幕末史が好きな方ならば、二本松の戦いの舞台となった藩、というイメージが強いかもしれません。二本松藩は江戸時代初期にいくつかの家が藩主になった後で、最終的に丹羽長秀の孫、丹羽光重を祖とする丹羽家が幕末まで治めました。東北の藩は飢饉に苦しんだところが多かったのですが、二本松藩も例外ではありませんでした。そんな二本松藩の歴史を紐解いていきましょう。
丹羽氏が治める以前の二本松藩
二本松の地は、室町時代初期より畠山氏が治めていました。この地を治めていた畠山氏は、地名にちなんで「二本松畠山氏」もしくは単に二本松氏と呼ばれるようになります。安土桃山時代になると、伊達政宗が奥州支配に乗り出します。その結果二本松氏の15代目に当たる二本松義継が伊達政宗の父、輝宗を拉致しようとして失敗し、輝宗ごと殺害される事件を皮切りに、二本松氏との戦が本格化しました。その後、二本松氏は滅ぼされて二本松の地は伊達政宗のものになります。
しかし、豊臣秀吉の裁定で二本松は一度蒲生氏のものになり、その後上杉景勝の所領になりました。
慶長5年(1600年)に起こった関ヶ原の戦いで、西軍に味方した上杉景勝は米沢に石高を減らされた上で移封され、その後蒲生秀行が60万石で移封されます。しかし、蒲生秀行が治めた時代、二本松藩は凶作・飢饉・大地震・風水害などの天災が続いたうえ、他藩より年貢が重かったため、百姓の離散が相次いだと言われています。蒲生秀行は30歳で早世、その嫡子蒲生忠郷も子どもを遺さずに早世したため、二本松の地は一時幕府の直轄地となりました。
その後、賤ヶ岳7本やりの1人加藤嘉明が二本松の地を与えられ、彼の娘婿に当たる松下重綱に藩主の座が引き継がれます。ここに二本松藩が正式に成立したのですが、松下重綱が藩主になった年の10月に志望すると、その嫡子は幼年を理由に跡を継ぐことを赦されず、陸奥三春藩に移封されました。
代わりに跡目を継いだのは、初代藩主加藤嘉明の三男、加藤明利です。明利自身は無難に藩を治めましたが、跡を継いだ加藤明成は厳しい検知を行ない、領民に対して厳しい年貢を課します。そのため、農民は困窮して将軍が派遣した奥羽松前巡見使に、厳しい現状を訴えようと試みます。結果的にこの訴えは藩主加藤家によって潰されより重い年貢を課せられる結果となりました。このような悪政に領民は離散や身売りが相次ぎ、ついに加藤家は改易されてしまいます。ちなみに、加藤明利は会津藩のお家騒動「会津騒動」の当事者でもあります。
丹羽氏の統治
加藤家が改易された後、二本松藩の藩主となったのが織田信長の重臣、丹羽長秀の孫に当たる丹羽光重です。丹羽光重は二本松城の大規模な改修や侍屋敷・城下町の整備、法制確立、学術の振興などを積極的に行い、藩政の基礎を固めます。しかし、加藤家治世の頃から続く幕府からの重い公役負担に加えて、天災、凶作、飢饉がたびたび起こり、代々の藩主は農民の一揆や離散、そして人口減少に悩みます。特に、享保、天明の飢饉では数万人単位の死者を出しています。そのため、第6代藩主丹羽高庸は、2人目、3人目の子どもが生まれた家に手当を出す、赤子育成法という一種の育児手当を実施します。それほど、藩の人口減少は深刻な問題でした。しかし、それでも藩の人口はなかなか回復せず、財政難から幕末の天明期には制度が崩壊します。
第10代藩主丹羽長国の時代、戊辰戦争が勃発します。二本松藩は奥羽越列藩同盟に加わって、新政府軍と戦いますが、二本松藩の兵士は少年兵、幼年兵合わせて2000人にも満たない有様でした。また、丹羽家は織田信長の重臣というプライドが徒となって西洋式の軍事訓練を受け入れなかったため、西洋式訓練を受けた新政府軍に勝ち目はありませんでした。
結果的に、二本松城は炎上して落城、藩の兵士300人以上が亡くなるという惨事を招きます。この戦いは「二本松の戦い」と呼ばれ、幕末のドラマや映画などにたびたび登場します。また、二本松城は大阪の陣以来はじめて落城した城として不名誉な記録が残りました。
しかし、10代藩主、その後を継いだ11代藩主丹羽長裕は石高は減らされましたが、それ以上の罰則は受けず、11代藩主丹羽長裕は府知事にもなっています・
まとめ
二本松藩は凶作や天災が相次ぎ、さらに厳しい年貢の取り立てにより領民の離散が絶えないといった厳しい環境の藩でした。丹羽家の藩主達は何とかしようと努力した跡がみられますが、根本的な解決には至らず、幕末には戊辰戦争によって城が炎上するという不幸にも見舞われます。しかし明治になってからは二本松城の跡地に紡績工場が建ち、福島県の近代化に貢献しました。
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- 執筆者 AYAME(ライター) 江戸時代を中心とした歴史大好きライターです。 趣味は史跡と寺社仏閣巡り、そして歴史小説の読書。 気になった場所があればどこにでも飛んでいきます。 最近は刀剣乱舞のヒットのおかげで刀剣の展示会が増えたことを密かに喜んでいます。