明応の政変(2/2)戦国時代の幕開けとなったクーデター

明応の政変

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事件簿
事件名
明応の政変(1493年)
場所
京都府
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二条城

二条城

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そして細川政元は朝廷に根回しし、足利義澄を将軍として認めさせます。後土御門天皇は勝手に将軍をすげ替えられたことに怒りを感じましたが、結局将軍交代を認めました。その決め手の一つが政元による政治献金だったという、なんともいえない話も残っています。

一方、細川政元挙兵の知らせを受けた足利義材は驚愕します。諸大名、室町幕府の将軍直臣たちは「将軍が2人だと・・・?」と大混乱に陥りました。そうしたなか、伊勢貞宗から「新将軍に従うように」との書面が届くと、河内にいた大名や将軍直臣たちは足利義澄につこうと京に戻ります。これは、立て続く六角征伐・河内征伐が大名たちに多大な負担を強いたことが一因でした。とはいえ日野富子や伊勢貞宗の力も大きく働いたのはいうまでもありません。結局義材のもとに残ったのは畠山政長のみ。とはいえ約8000の兵がともにおおり、義材は徹底抗戦するつもりで準備を進めるのでした。

明応の政変②足利義材、正覚寺で敗北

細川政元は閏4月7日、上原元秀・安富元家らを足利義材討伐軍として河内に派遣します。この軍に畠山基家や政元に与する大名たちも加わり、討伐軍はおよそ4万にまで膨れ上がりました。これに対し、義材と畠山政長は正覚寺に立てこもり、100以上の櫓を建てるなどして守りを固め、討伐軍を待ち構えました。

実は足利義材たちには勝算がありました。それが政長の治める紀伊(和歌山県、三重県南部)からの援軍です。約1万の援軍が正覚寺に向かっており、援軍が来れば巻き返しが期待できます。しかし援軍は堺で赤松政則により足止めされてしまい、戦闘の挙句敗北し、正覚寺にたどり着けませんでした。

そうしているうちに城の食糧は減り、兵士たちの士気も徐々に低下していきます。そして食糧がほぼなくなった閏4月24日、討伐軍は総攻撃を開始。翌朝には城は陥落し、畠山政長は重臣たちと共に自害しました。足利義材は討伐軍に投降し、京に送られ竜安寺で幽閉生活を開始します。こうして明応の政変は終結しました。

明応の政変後の室町幕府

明応の政変後、細川政元は幕政を掌握し、将軍は傀儡化していくことになります。とはいえ、11代将軍に就任した足利義澄の背後には日野富子や伊勢貞宗がおり、政元の専横は度々ストップされるわけですが…。また、義澄が成長するにつれ政元と義澄の政治的対立が起こりますが、細川家の跡継ぎ争いに絡んだ将軍職争いで室町幕府の権威は地に落ち、幕府は緩やかに崩壊していくことになります。

細川家の跡継ぎ争いの原因は細川政元にありました。修験道にハマったことで生涯独身だった政元には実子がおらず、3人の養子がいました。当初は摂関家の九条家から養子に取った細川澄之を嫡子にしましたが、後にこれを廃嫡して細川一門の阿波守護家から迎えた細川澄元を嫡子にします。このため澄之派と澄元派が細川家内で争うことになりました。

そして永正4年(1507年)6月23日、細川政元は澄之派閥の香西元長らに暗殺されてしまいます(永正の錯乱)。その後、政元の跡目は紆余曲折の結果、もう1人の養子・細川一門出身の細川高国と連携した細川澄元が継ぎました。ところがこの澄元と高国が対立。細川家の内部争いはその後20年以上続くことになります。

将軍家の跡目争いは足利義材が幽閉先から脱出し、畠山政長の重臣・越中(富山県)守護代の神保長誠のもとに逃げ延びたことから再び始まりました。義材は「越中公方」として勢力を拡大。畠山政長の息子で正覚寺から脱出に成功していた畠山尚順らとともに細川政元討伐を訴え、たびたび上洛を目指して軍事行動を起こします。明応7年(1498年)には義尹と改名し、朝倉氏を頼り、比叡山延暦寺、高野山などと挙兵して近江まで進出しました。そして細川政元が暗殺されると、細川高国が義尹に接近。高国の後ろ盾を得た義尹は幾多の争いの結果、永正4年(1507年)7月に将軍に返り咲きました。

足利義尹により京を追われた足利義澄と義澄と組んでいた細川澄元は亡命生活を続けます。義澄は将軍に帰り咲くことなく命を落としますが、息子の足利義晴が第12代将軍を継いでいます。このように室町幕府は「義稙流」と「義澄流」の二派に分裂し、それぞれの派閥から将軍が生まれます。この両派の争いが全国に戦を拡大させていくことになり、やがて部下が主君を討つ下剋上の風潮の広がりとともに戦国時代が訪れることになるのです。

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栗本 奈央子
執筆者 (ライター) 元旅行業界誌の記者です。子供のころから日本史・世界史問わず歴史が大好き。普段から寺社仏閣、特に神社巡りを楽しんでおり、歴史上の人物をテーマにした「聖地巡礼」をよくしています。好きな武将は石田三成、好きなお城は熊本城、好きなお城跡は萩城。合戦城跡や城跡の石垣を見ると心がときめきます。
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