生類憐れみの令(2/2)見直されつつある天下の「悪法」

生類憐れみの令

生類憐れみの令

記事カテゴリ
事件簿
事件名
生類憐れみの令(1687年〜1709年)
場所
東京都
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江戸城

江戸城

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また、生類憐れみの令の前に軍事訓練だった鷹狩りを廃止。もともと儒教や仏教の影響から殺生を好まなかった綱吉は鷹狩りが余り好みでなかったようで、将軍就任前から鷹狩りをやめていました。生類憐れみの令でも当然鷹狩りや放鷹を禁止したほか、鳥を飼うことを一部の例外を除き禁止しています。

さらに、亀の飼育や蛇を使った芸を禁止し、金魚の飼育は届け出制、船での釣りは禁止、虫の飼育も禁止など、対象は両生類や爬虫類、魚類、虫類にまで及びました。しかし、庶民の娯楽まで規制対象にしたことで、江戸の庶民からの不満はさらに高まりました。

なお、猪や鹿、狼など「害獣」扱いされているものについては、空気銃で追い払うことはOKでしたが、その際も「仁慈の心を忘れて理由なく銃で討った場合は厳しくとがめられるべきである」としています。

生類憐れみの令③「人間」も手厚く保護

生類憐れみの令は人間も保護の対象でした。対象は主に捨て子や旅行中の病人で、捨て子については貞享4年(1687年)に捨て子を禁ずる町触が出されたことを契機に、同様のものが何度も出されています。

初期は捨て子はすぐ届けるというより見つけたものが養う、または希望者が養子にするよう命じていますが、元禄3年(1690年)には捨て子を「ご禁制」とし、養育できない場合は申し出るように通達。以後は養育できないときは奉公人の場合は主人に、村の場合は村長などに相談するように、としています。加えて、元禄3年には7歳までの子どもの登録を、元禄9年(1696年)には3歳までの子どもや妊娠、出産、流産の記録も義務付けました。

病人については道に捨ておかず薬を飲ませて介抱するようにとしており、元禄13年(1700年)には、病人や女性や老人、子どもに対し、それまで禁じていた駕籠の使用を許可しています。

生類憐れみの令④厳しい罰則、ただし地方では緩め

生類憐れみの令を守らなかった場合はどうなったのでしょうか。当時の記録には「蚊を殺した罪」で切腹になったという噂があったようですが、綱吉は特に前期、法令違反者に厳罰を与えていました。鳥を捕らえたことで獄門やさらし首にあったり、犬にかまれて切り殺した武士が切腹に追い込まれたり、鶴を撃った村人がさらし首になったりと、動物に被害を与えた人は死に追いやられました。

また、流罪や江戸からの追放、閉門などの罰則もありました。とはいえ、生類憐れみの令で処罰された記録として拾えた69件のうち極刑は13件で前期が中心だった、という研究もあるので、綱吉が死ぬまで罰則が厳しかったわけではないのかもしれません。

また、生類憐れみの令が最も適用されていたのは幕府のおひざ元・江戸で、地方については生類憐れみの令をそこまでしっかりと守らず、罰則が緩いケースもありました。例えば東北の盛岡藩(岩手県など)では犬を切り殺した武士が親に預けられたのち、厳重注意で許されています。尾張藩(愛知県)の武士・朝日重章による日記『鸚鵡籠中記』によれば、重章はなんと法令を破って76回も趣味の釣りを楽しんでいたのだとか…。

加えて生類憐れみの令にすべての人物が従っていたわけではなく、水戸光圀は大反対。犬の皮を箱に詰めて送って綱吉を諫めた、というエピソードが伝わっています。

生類憐れみの令の廃止と再評価

徳川綱吉の在位時代に続いた生類憐れみの令でしたが、綱吉は宝永6年(1709年)1月10日、成人麻疹により64歳(満62歳)で亡くなります。綱吉自身は「自分が死んでも生類憐れみの令を続けるように」との遺言を残しましたが、1月20日には跡を継いだ6代将軍の徳川家宣が、すぐさま生類憐れみの令の廃止の意向を表明。庶民が困窮しないような規則の変更、生類のための入用金や犬小屋の廃止などを実施すると発表をしました。

しかし、このとき廃止されなかったものがあります。その代表的なものが捨て子禁止令や病人の保護です。過剰ともいえる犬の保護のせいで評判が悪かった生類憐れみの令でしたが、家宣は必要なものはそのまま踏襲したのでした。

「天下の悪法」と言われた生類憐れみの令。生類の過度な保護は当時の人々には大きな負担になりましたが、捨て子禁止令など社会福祉、動物保護の観点などから、近年では再評価されつつあるのです。

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関係する人物
栗本 奈央子
執筆者 (ライター) 元旅行業界誌の記者です。子供のころから日本史・世界史問わず歴史が大好き。普段から寺社仏閣、特に神社巡りを楽しんでおり、歴史上の人物をテーマにした「聖地巡礼」をよくしています。好きな武将は石田三成、好きなお城は熊本城、好きなお城跡は萩城。合戦城跡や城跡の石垣を見ると心がときめきます。
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