江戸城名前の変化
はじめまして!
「お城めぐり=デート」お城に行くときは全力でお洒落をする女、清水悠紀(しみずゆうき)です。
小学校6年生の時、日本のお城を学校行事で見学し、お城に一目惚れ。そして日本城郭に惚れ込みました。
現在はモデル・女優・コスプレイヤー・配信者としていろいろな分野で活動しながらお城の素晴らしさを伝えられたらと思い、お城TikTokrとして動画の投稿をしたり、イベントやライブなどでお城トークをニヤニヤしています。
そしてこの度!
嬉しいことにご縁をいただき「日本の旅侍」でコラムを書かせていただくことになりました。
はじめてお会いする方もいらっしゃると思うので皇居(江戸城)乾通り一般公開の日に撮影した私のお写真を載せさせていただきます。マスク姿で失礼致します。
こんな見た目なので「お城好き」というと海外のお城や夢の国のお城が好きと思われがちですが日本城郭が大好きな城ガールです。
▽今回のテーマは「江戸城」▽
さて初投稿となる今回!
私が紹介するのは「江戸城」です!
日本一のお城・江戸城
江戸城は関東のお城では数少ない石垣の城の1つです(総石垣の城としても有名です)。
その理由などはまた別の機会にお話しさせていただきます。
私的、江戸城のイメージは寛大で高貴なイケメン!!!(共感してくれる方がいたら嬉しいです♪)
そして今回、江戸城の何をお話しするのかと言いますと江戸城の簡単な歴史・知ってたら誰かにお話ししたくなる豆知識(江戸城の呼び名)をお話ししたいと思います。
江戸城って訪れた人ならわかると思いますが1日じゃ足りないくらい広いお城なんです。見てほしい!知ってほしい!そんなポイントが沢山あって、紹介し始めたらキリがない。なので他のお話はまた次の機会にと思っています。
▽江戸城のイメージ▽
江戸城といえば、徳川様のお城・皇居というイメージではないでしょうか?お城好きさんは太田道灌様が築城したお城というイメージの方もいらっしゃると思います。
江戸城には900年の歴史があるんです。すごいですよね!
今、私たちが目にしている江戸城は徳川様時代の江戸城だと言われています。
ですがそんな江戸城。徳川様が江戸入りされる前から存在していたのはご存知ですか?
▽江戸城のはじまり「江戸氏館」▽
江戸城のはじまりは平安時代末期〜鎌倉時代。
江戸氏の居館「江戸氏館」と言われています。
この時代の城は「館」といわれ「城」とは違った形をしていました。お城と言われると天守を想像しますよね?ですがこの時代、まだ天守は存在していません。
天守が出現するのは安土・桃山時代と言われています。
残念ながら江戸氏館の遺構などは残っていません。
ですが、江戸城の前身ではないかと推測されています(諸説もあります)。
▽太田道灌時代「千代田城」▽
太田道灌様が長禄元年(1457)築城した「千代田城(江戸城)」
まだこの時、室町時代。天守はありません。
皆様!江戸城の別名はご存知ですか?
江戸城の別名は「千代田城」です。
太田道灌様が江戸城築城の際、候補に3つの村名をあげました。
その村名の1つが「千代田村」でした。
千代とは永遠を意味し、田園が末代まで続くようにと名付けられたのが千代田村の由来と言われています。
「末々繁盛疑いなし」と道灌様は考え、千代田村を採用し、千代田城と名付けたと言われています。
現在、千代田城の遺構などをみることはできません。ですが当時の史料に記載が残されています。
▽徳川時代の「江戸城」▽
皆様が知っている「江戸城」の形になったのが徳川様時代の江戸城です。
ようやくこの時代になり、天守が出現します。
徳川時代の江戸城、実は3回も建て替えているんです(更になんと5回も燃えいます)。
1つ目が徳川家康様時代の「慶長天守」
2つ目が2代目将軍・秀忠様時代の「元和天守」
3つ目が3代目将軍・家光様時代の「寛永天守」
江戸城最後の天守が3つ目の寛永天守です。
その天守が姿を消したのが明暦3年(1657)明暦の大火。
江戸城・焼失。
この時の城主は4代目将軍・家綱様。家綱様はまだ少年でした。
家綱様の代わりに指揮を取ったのが後見人の保科正之様です。
「天守とは軍事力や権力を表すもの。戦のない平和な時代がもう訪れている。」と考え
天守の再建よりも「江戸の町や被災した方たちの救済が優先」と判断しました。
そして江戸城に天守が再建されることはありませんでした。
今、私たちが江戸城で見ている天守台は大火の後、加賀藩前田家の寄進により造られたものです。その台座が今も残されています。
もし大火の後、天守の再建が行われていたら、この上に天守があったかもしれません。
徳川時代の天守が見られたの家康時代〜明暦の大火までの50年間と言われています。
天守がなくなった江戸城は「櫓」を天守の代わりとして代用していました。
代用天守として活躍したのが「富士見櫓」です。
この櫓は現在も江戸城で見ることができます。江戸城へ行かれる際は是非足を運んでくださいね。
▽現在「皇居」▽
そして江戸城は現在「皇居」とも呼ばれています。
かつての本丸と二の丸、三の丸の一部が現在「皇居東御苑」になっています。
江戸城はたくさんの歴史があり、たくさんの歴史を生み出し、たくさんの歴史を経験してきたお城です。
そして何より、江戸城のすごいところは「現役」というところです。
何が現役かというと、皇居として今も全力で生き続けているんです。活躍しています。
城主が変わった。それだけ!
将軍様から天皇陛下へ…。
唯一無二の現役のお城「江戸城」
「江戸氏館」「千代田城」「江戸城」「皇居」と名前・形を変え、今こうして私たちが見て・感じて・触れることができるってすごいことだなぁ〜っと江戸城(皇居)へ行くたびに感じています。
石垣の1つ1つにもたくさんの願いや想い、歴史があるのもお城の魅力の1つですよね。
お写真の私は江戸城・天守台の石垣をまじまじと見て、触れて、感じて、ニヤニヤしているというわけです。
皆様も是非、この感動を味わってみてください!
さまざまな発見があったり、私はこの時間が大好きです。
まだまだお話ししたいことがたくさんありますが今回はここまで。
▽最後のご挨拶▽
さて、いかがでしたか?
今回は江戸城の呼び名と簡単な歴史を紹介しました。
姿を変え、名前を変え、そして今も愛され活躍している江戸城。
少しでも興味を持っていただけたら光栄です。
私はTwitter・Instagram・TikTokなどSNSもやっています。
お笑いライブのMCやイベント、LIVE配信、コスプレイベントなどにも出演しています。
是非、SNSのコメントや劇場・会場などへ会いに来ていただき直接感想を聞かせていただけたら嬉しいです。
ではまた!
次の投稿でお会いしましょう♡
- 執筆者 清水悠紀(お城好きタレント) 「お城めぐり=デート」だってお城に会いに行くんでしょ♡城ガールの清水悠紀(しみずゆうき)です。 女優・モデル・配信者・イベントMCなどでマルチに活動中。 名古屋コスプレホストタウンPR隊として名古屋×コスプレの宣伝・イベントや撮影会・メディア出演。 コスプレイヤーとしてTikTokで動画投稿・雑誌掲載・イベントやメディア出演。 お城好きタレントとしてイベントやライブでお城についてトークをしたり、お城TikTokrとして動画投稿。 いつか悠紀城を築城したい! Twitter・Instagram・TikTokなどSNSのフォローもよろしくお願いします。 公式HP・SNSはこちら