勝龍寺城近代城郭の先駆け!勝龍寺城

皆々様、ご機嫌麗しゅうございます!

此度、記事を書かせていただくことになりました、京都・長岡京おもてなし武将隊つつじの、細川玉子と、明智光秀にございます。

よろしくお願い申し上げます!

玉子:それでは!我らが居城である【勝龍寺城】について綴らせていただきます。勝龍寺城へは、JR長岡京駅からお越しいただくと分かりやすいです。JR長岡京駅東口から南へ徒歩約10分ほどとなります。
そして、勝龍寺城へ向かう道中、まず目に入ってくるのは、神足神社のこちらの案内かと思います。

光秀:元亀2年(1571年)に織田信長様の命で、細川藤孝様が勝龍寺城を改修された際に、お城と城下を囲うようにお堀をめぐらしたんじゃ。
その土塁と空堀がこちらに残っておりまする。

光秀:この土塁は黒い土と黄色い土を層にし、崩れないように重ねて作られておるんじゃ。更に、6mほどの高さがあるので、容易に登ることは出来なくなっております。

玉子:なお、現在は層になっている様子はご覧いただけないのですが、その横にブロックを色分けし、当時の土塁の構造がわかるようにされております。

光秀:更に、横矢掛(よこやが)かりの虎口を設けておりまする。敵がお堀の真ん中の細い土橋を通ってきた際、高い土塁の上から弓矢や銃を使い、側面から攻撃を仕掛ける仕組みになっておるのじゃ。防御にたけた作りになっていることがわかりますな。

玉子:そして奥へ参りますと、神足神社がございます。改修する以前こちらには、西岡衆、神足氏が治めていた「神足城」があったとも云われております。更に、桓武天皇が不思議な夢をみられたとうお話がございます。
“この地に神が舞い降り悪霊から守った”という夢だったそうで、太刀と絹を奉納し社を建てたと伝わっております。桓武天皇のゆかりの地でもありますので、是非、神足神社も参拝してくださいませ!

玉子:なお、勝龍寺城のお堀の周りには、わたくし玉子の生い立ちを分かりやすく紹介した案内板もございます。更に、長岡京市の名所やお城の歴史などの案内板、九曜紋をあしらったベンチもあります😊

玉子:それでは、いよいよ!勝龍寺城へと参りましょう!

光秀:勝龍寺城は細川頼春様、もしくは畠山義就様により築城されたと云われており、その後、三好三人衆の岩成友通殿が入城し治めておりました。
足利義昭様ご上洛時、信長様が5万の兵で勝龍寺城を攻め、岩成友通殿は開城し、阿波へ追放されたんじゃ。
その後、信長様の命で、細川藤孝様が入城し改修を行い、丹後に移るまで細川家が治め、防衛の拠点としての役割を担っていたと伝わっております。
その後、江戸時代にその役目を終え廃城となってしまうのじゃが、平成4年1992年に「勝竜寺城公園」として整備されたのが、今現在の勝龍寺城ということじゃ。

玉子:城内では、細川藤孝様の嫡男でわたくしの旦那様である細川忠興様と、わたくし玉子(ガラシャ)の像が迎えてくれます。忠興様の像は、なんとこちらの勝龍寺城にしかございません!玉子の像は各地にいくつかございますが…🤭

光秀:玉子は天正6年1587年に、細川忠興殿に輿入れしたんじゃ。婚礼の儀を行ったのは、この勝龍寺城にございます。

玉子:わたくしは、翌年には長女を出産。更に、その翌年には嫡男、忠隆が生まれ、幸せな新婚生活を長岡京市で過ごしました。
そして、毎年11月の第2日曜日に「長岡京ガラシャ祭」が開催され、婚礼の儀の再現も城内で行われております!

光秀:今年は11月12日(日)に行われ、我々も行列参加や演武も披露させていただきますので、是非お越しくださればと思います!

玉子:そして、こちらの勝龍寺城の管理棟では、無料で出土品などをご覧いただけます。

玉子:管理棟の一階には、忠興様と玉子の肖像画(絵)も飾ってあり、わたくしを模した、ガラシャ祭の公式キャラクター「お玉ちゃん」のガチャも楽しめます😊ガチャは一回100円と、お手頃価格です!季節により絵柄も変わりますので、お越しになられた際には、記念にお手元へどうぞ😊

光秀:更に、休憩スペースもございます。玉子や忠興殿、藤孝様やわし(明智光秀)の書籍も置いてあるので、ゆるりと読書を楽しまれても良いかと思います。そして、モニターには長岡京市の名所や、我々の映像も流れておりますぞ!こちらも、ご覧いただけると有難い。

玉子:さて、お次は管理棟のお二階へ!階段を上がっていただくと、忠興様の甲冑「黒糸威二枚胴具足」の複製品がお出迎えしてくれます!実はこちら、ヤマキ商事株式会社様の寄贈により、父上が作製した逸品なのです!ガラスケースなので、お近くでご覧いただけます。じっくり細部まで見学していただけると嬉しいです😊

玉子:展示室には出土品や、藤孝様や忠興様、玉子や父上に関する歴史パネルなどが展示されております。イラスト入りで、大変分かりやすい内容になってございますので、ゆっくり楽しんでいただきたいです😊

玉子:それでは、お次は城内の案内へと参りましょう!

光秀:城内には、隅櫓が再現されております。北東隅櫓は石垣で補強されており、石垣の階段が作られていたそうじゃ。なお、土塁に登れるようになっていたという遺構も発見されておるとのこと。現在は休憩も出来る隅櫓として再現されております。

玉子:隅櫓には石落としも再現されております。城壁や石垣を登ろうとしている、真下の敵に、石や煮え湯などを落として攻撃していたなんて…恐ろしいですね。是非、覗いてみてくださいね!

光秀:更に城内には、立派な井戸も見つかっておるぞ!藤孝様の城の改修によって作られた井戸とのことじゃ。

玉子:井戸と申しますと”ガラシャおもかげの水”という、天然の地下水もございます。

玉子:戦国時代も井戸からくみ上げた水を飲んでいましたので、時を超えこの令和の世でも我々と同じ水が飲めるという!歴史浪漫を感じますね😊

光秀:そして、城の石材として利用していたとされる石仏や五輪塔などの遺構も見つかっております。わしが福知山城で転用石を用いたのと似ておるな。なお、井戸や石垣に利用していた転用石は一ヶ所に集められ、ご供養されております。

光秀:皆様も手を合わせていただけましたら幸いじゃ。

光秀:その横には北門があったと云われており、礎石と当時の石垣が残されております。

玉子:父上(明智光秀)が山崎の戦いで敗走し、この勝龍寺城へ入られます。再起を図るために、斎藤利三殿が城に残り、父上を夜陰に紛れて北門から逃がしました。その北門があったとされる場に当時の石垣が残っているのも、感慨深いものを感じます。

玉子:わたくしが結婚式を挙げ、幸せな時を過ごした勝龍寺城…。あの日、父上はこの城で何を思っていたのでしょうか…。この勝龍寺城が、父、明智光秀が最後に入った城となりました。
明智家にとって、光と影を知る勝龍寺城。数奇な運命を感じずにはいられません…。

玉子:さて、西側には一際大きい土塁がございます!

玉子:そちらを登りますと、天王山を望むことができます。

玉子:更に、お城を側面から見渡せるのです!城壁より少しせり出した土塁は、珍しいと思います😊

光秀:日本の城城郭考古学者である千田嘉博先生が、この土塁の上に天守が建っていたのではないか仰っておりました。もしも天守が建っていたのなら、安土城よりも早く天守を備えた”近世城郭の原点”といえますぞ!

※イメージ図はこちらでご覧いただけます
https://www.city.nagaokakyo.lg.jp/0000011496.html

光秀:更に、勝龍寺城の横には沼田丸公園があり、細川藤孝様の正室、麝香様の父である、沼田光兼様の屋敷があったと云われております。周囲には土塁が築かれ、外堀もあり、本丸を守る出丸のような役割だったのでないかと考えられておるぞ。
こちらでも井戸が発見されており、おもかげの水と同様に地下水を汲むことができ、多くの市民の方が汲みに来られております。

玉子:そして、勝龍寺城のすぐ近くに、城の名前の由来となっている「勝龍寺」がございます。

玉子:現在お寺にある梵鐘は三代目で、初代は大阪の陣の際に持ち出されてしまったと云われております。

玉子:ガラシャ祭の際には、わたくしガラシャの、大変美しい切り絵御朱印の授与もございます😊
なお、御本尊には、十一面観音立像や毘沙門天などがありますので、勝龍寺城の散策と共に、是非お参りにお立ち寄りくださいませ。

光秀:そして!実は長岡京市には、数多くの古墳も残されておるんじゃ。その中でも一際大きい古墳が、前方後円墳の恵解山古墳じゃ!

光秀:恵解山古墳では、700点もの鉄製武器が出土しておる。
平成26年に整備され、5世紀前半の姿に復元されたぞ。
古墳の上に出土した武器の模型や埴輪などがおかれ、周りには古墳の模型も置かれております。

玉子:なお、山崎の戦いのおり、父上(明智光秀)は、この恵解山古墳に本陣をおいたとされております。

玉子:恵解山古墳では、土塁の跡や、多数の鉄砲の玉などが出土しております。
古墳の上から天王山を眺めますと、当時の父上(明智光秀)も、こちらから戦況を見ていたのかと想像が膨らみますね。

玉子:そして、勝龍寺城等のお近くには「神足ふれあい町家」があり、お蕎麦やおうどん、甘味なのが頂けます。
ご休憩などにお立ち寄りくださり、お食事してみてくださいね😊

光秀:勝龍寺城からは少々離れますが、長岡天満宮の境内には、智仁親王が細川藤孝様から古今伝授を授かった「開田御茶屋」がございました。

光秀:御所近くの自邸の建物を、長岡天満宮の大改修に合わせ池のそばに移築し「開田御茶屋」とされたとのこと。
現在は、熊本県水前寺成就園に移され「古今伝授の間」として今日に伝わっております。
現在、長岡天満宮には、記念碑が残されております。

光秀:なお、細川藤孝様は勝龍寺城にて、三条西実枝(さんじょうにしさねき)様より、古今伝授を授かりました。

光秀:勝龍寺城は、近世城郭の原点と伝わり、玉子の輿入れが行われ、わしがその人生の最後に入った城でもある。
様々な歴史の転機にあった重要な城、それが勝龍寺城だと分かっていただけたかと思いまする。
我々も出陣しておりますので、是非、足を運んでいただきたい!

玉子:此度は長文をお読みくださり、本当にありがとうございました!
是非、長岡京市へ訪れていただき、歴史浪漫に浸っていただければと思います😊

それでは、京都・長岡京おもてなし武将隊つつじの、細川玉子と、明智光秀でした。
ありがとうございました!

【勝竜寺城公園】
所在地:〒617-0836
京都府長岡京市勝竜寺13-1
開園時間:9時~17時(4月~10月は18時)
休園日:無休(12月28日から1月4日を除く)
アクセス:JR長岡京駅東口南へ徒歩約10 分
入園料:無料

記事カテゴリ
私が好きなお城
関連する城・寺・神社

勝竜寺城

紹介者 京都・長岡京おもてなし武将隊つつじ 京都府長岡京市の公式武将隊として活動。 勝龍寺城を中心に、明智光秀、ガラ­シャ姫、細川藤孝らの武将や姫が、殺陣(たて)や詩吟、舞を織り交ぜた演武や­甲冑劇を行い、長岡京市の歴史­・魅力を全国へ発信しております。 また、福知山市や舞鶴市、亀岡市、京田辺市などの京都府をはじめ、岐阜県、滋賀県、福­井県、愛知県、兵庫県などの歴史イベントも­盛り上げ、明智家や細川家ゆかりの市町との架け橋となる活動も行っております。 出陣依頼、スポンサー、メンバー募集など、是非お問い合わせ、宜しくお願い致します。 ●HP:https://www.city.nagaokakyo.lg.jp/0000008868.html ●Twitter:https://twitter.com/nagaokakyobusho ●Facebook:http://www.facebook.com/nagaokabusho ●Instagram:https://www.instagram.com/mituhide0613 ●つつじ商店:https://nagaokakyo.stores.jp/ 公式HP・SNSはこちら
About Moi