根城青森県八戸市

春の根城1 春の根城2 春の根城3 春の根城4 春の根城5 春の根城6 春の根城7 春の根城8 春の根城9 春の根城10
夏の根城1 夏の根城2 夏の根城3 夏の根城4 夏の根城5 夏の根城6 夏の根城7 夏の根城8 夏の根城9
根城DATA
築城 1334年
住所 青森県八戸市根城字根城47
電話番号 0172-33-8739
開館時間 午前9時~午後5時(入館は16時まで)
休館日 月曜日、祝日の翌日、年末年始(12月27日~1月4日)
登閣料 大人250円・高大学生150円・小中学生50円

根城は、建武元年(1334年)に南部師行氏により築城。

根城への交通アクセス
JR東北本線・東北新幹線「八戸」駅からバス約15分。

HISTORY 江戸時代の初期に廃城となった「根城」

根城は、青森県八戸市根城にあった平城です。根城南部氏の本拠地として南北朝時代に築城され、幾度か改築を繰り返しながら江戸時代初期に廃城となりました。現在は、中世の遺構を今に伝える貴重な史跡として、安土桃山時代に造られた建物の一部が復元されています。そんな根城の歴史を紐解いていきましょう。

根城城築城
根城は建武元年(1334年)南部師行によって築城されました。南部師行は、もともと甲斐国に領地を持っていましたが、新田義貞が鎌倉を攻めた際その軍勢に加わって武勲を建てました。
鎌倉幕府が滅亡し、後醍醐天皇による建武の新政が始まる南部師行の一族も役職を与えられます。そして、正慶2年(1333年)、後醍醐天皇の皇子である義良親王を奉じ、陸奥守北畠顕家にしたがって陸奥国多賀城に下向しました。そしてこの地で、北畠顕家を頂点にする奥州の小幕府が開かれると、南部師行は糠部郡の郡代に任ぜられます。糠部郡とは、現在の青森県東部から岩手県北部にかけての地域です。この地は軍馬の産地であり、南部氏は牧経営の経験があったためにこの地を与えられたという説があります。
糠部郡の郡代になった南部師行は、南部氏の居城として糠部郡八森に根城を築城しました。 根城を本拠地とした南部師行は、鎌倉幕府滅亡をきっかけに発生した津軽の豪族同士の争いである大光寺合戦などにも勝利し、津軽地方まで勢力を伸ばしていきます。しかし、彼は北畠顕家とともに足利尊氏討伐に参加し、暦応元年(1338年)高師直との戦いで戦死しました。 その後、南部家は南朝への中世を誓って室町幕府からの降伏勧告を退け続けますが、南朝の勢力が弱体化して行くにつれて南部氏の勢いも弱まっていきます。明徳4年1393年、南部氏の本拠地である甲斐国で8代目の領主の座に就いていた南部政光は、改めて根城に拠点を移し、南部氏再興を図りますが周囲で小競り合いが続いてなかなかうまくいきませんでした。
なお、根城を居城とした南部氏はこの時代頃より「八戸氏」と呼ばれるようになります。そして同時期、北奥州で勢力を伸ばしたのは同じ南部氏である三戸南部氏でした。三戸南部氏は、その後豊臣政権を後ろ盾にして閉伊郡、和賀郡、稗貫郡の支配を認められるなど勢力をさらに伸ばしました。
安土桃山時代から根城廃城まで
天正18年(1590年)小田原征伐の際に三戸南部氏の当主であった南部信直が、豊臣秀吉のもとに帰参し、所領の南部7郡を安堵されると同時に、八戸南部氏を支配下に組み込む許可を得ます。これにより、八戸南部氏は正式に三戸南部氏の家臣となりました。
天正20年(1592年)豊臣秀吉の命によって根城の本丸は取り壊されましたが、館など城主の居城は残ったため、八戸南部氏の本拠地であり続けます。
江戸幕府が開かれると、三戸南部氏は盛岡藩を開き八戸も盛岡藩領に組み込まれます。そして、寛永4年(1627年)に八戸南部氏22代目の八戸直義の時代、初代盛岡藩主南部利直によって遠野国替えされます。これにより、根城は八戸南部氏の本拠地としての機能を終え、廃城になりました。
なお、遠野に移封された八戸南部氏は、当時荒れ地であった遠野地方の開墾に精を出しやがて遠野南部氏と呼ばれるようになります。
現代の根城
廃城になった根城は長らく忘れられた存在でしたが、昭和16年(1941年)に国の史跡に指定されます。昭和58年(1983年)からは11年にわたって発掘調査や整備調査が行われ、平成6年(1994年)には、本丸主殿など一部の建物が再建されました。
現在は、中世の城郭を知る貴重な資料として、また観光名所としても機能しています。
平成18年(2006年)には、日本100名城に指定されました。
まとめ
根城は、青森一帯を支配した南部氏の一族、八戸南部氏の本拠地として南北朝時代から機能してきました。三戸南部氏が南部氏の宗家として認められたため、根城は城としての機能は失いましたが、江戸時代初期までは八戸南部氏の居城であり続けたのです。
そして現在は、主殿・工房・鍛冶場など近世の城郭には見られない設備が見学できます。 本丸跡地以外の遺構は公園になっており、市民の憩いの場として親しまれています。

根城を藩庁とする、八戸藩の歴史

八戸藩盛岡藩より独立した
八戸藩は、南部盛岡藩2代藩主・南部重直が後継を定めずに没したために誕生した藩です。幕府の命令によって、南部盛岡藩10万石の中から2万石を分割してもらい、南部重直の弟中里数馬(南部直房)が初代藩主となり
八戸藩
八戸藩DATA
居城 根城
旧地域 陸奥国三戸郡
石高 2万石
譜代・外様 外様
主な藩主 南部家
推定人口 6万8000人(明治元年)

盛岡藩から分割。南部直房が初代藩主となる。

根城、300年続いた南部氏の本拠地

青森県八戸市にある根城は、南北朝時代から約300年間続いた南部氏の居城です。八戸地方の中心として栄えた城は日本100名城にも選ばれました。平成6年(1994年)には主殿をはじめとした建物が復元・公開されており、安土桃山時代の様子を今に伝えています。

根城
根城の歴史
根城は南北朝時代の建武元年(1334年)、南朝方についた根城南部氏の武将・南部師行が築城した、8つの郭からなる連郭式の平山城です。城の名前は師行が「南朝方の根本となる城」ことを祈って付けたと言われています。
南部氏はもともと甲斐国(現山梨県)の出身でしたが、南北朝時代には東北を本拠地としていました。南部氏は大きく分けると三戸南部氏と根城南部氏(後の八戸氏)の2つに分かれますが、三戸南部氏は北朝に、宗家だった根城南部氏は南朝についていました。その後南朝の力が弱まるにつれ根城南部氏も弱体化し、南北朝合一後は三戸南部氏が力をつけ、宗家は三戸南部氏になりました。
安土桃山時代には三戸南部氏の南部信直が豊臣秀吉の配下として活躍。天正18年(1590年)の小田原討伐での活躍により、秀吉の奥州仕置の際、信直は南部氏領の7ケ郡を安堵する覚書の朱印状を得、領内全体を支配することになります。その際、根城南部氏は三戸南部氏の支配下に組み込まれました。
奥州仕置の際、秀吉は大名の居城以外の城を破却するよう命じました。このため根城も本丸が取り壊されています。しかし、館など城主の居城は残されました。
江戸時代に入って南部利直が盛岡藩(南部藩)を開くと、根城のある八戸も盛岡藩領になり、当時「八戸氏」を称していた根城南部氏が統治することになります。そして寛永4年(1627年)、22代当主の八戸直義のとき、八戸から遠野への国替えが決定します。関ヶ原の戦いの結果、遠野が南部氏のものになったことで、旧領主たちが南部氏に歯向かったことが原因だったようで、直義は遠野の治安を解決するために抜擢されたのです。その後直義は先代の清心尼とともに遠野の治安回復や町づくりに尽力していきます。
寛永4年の八戸氏の国替えにより根城は廃城となり、300年の歴史に幕を下ろしました。しばらく忘れ去られていた根城に再びスポットライトが当たったのは昭和16年(1941年)のこと。中世の貴重な城館跡として国の史跡に指定され、昭和53年(1983年)から11年にわたって発掘調査と整備事業が進められました。
その後史跡の主要部分の復元が進められ、平成6年(1994年)10月に「史跡 根城の広場」として公園化するかたちで公開されました。公園内の有料区画である本丸跡には発掘調査の成果をもとに、安土桃山時代の主殿や工房、番所や馬屋、鍛冶工房などが復元・整備されています。
根城の見どころ①主殿
本丸部分に復元された主殿は、城主が賓客をもてなしたり儀式をしたりする場所です。儀式の道具や南部氏代々の宝物などを保管する部屋もありました。台所以外は板の間で、特別な日に畳が出されていたようです。主殿広間には正月十一日におこなわれる儀式の様子が再現されています。
また、詰之間の配膳や二之間の武士など、武士の生活が垣間見られるような展示は臨場感たっぷり。安土桃山時代の生活に思いをはせながらめぐりましょう。
根城の見どころ1 根城の見どころ2 根城の見どころ3
根城の見どころ②充実の馬屋
南部地域といえば「馬」。奈良時代から駿馬の産地として知られており、江戸時代は盛岡藩内に9ヶ所の藩営牧場があったほど。明治以降も農耕馬や軍馬の供給地として知られていました。
このため根城跡にも馬に関する遺構がしっかり残っています。本丸跡には当主の馬をつなぐ「上馬屋」と客人の馬をつなぐ「中馬屋」が復元されており、馬の模型が飾られています。ちなみに当時の馬は小柄で、体格の良い馬でも肩まで1.3mほどだったそうです。
このほか夜や冬の間に馬を飼っていた「下馬屋」があり、鞍などの馬具や飼い葉を蓄える倉庫も併設されていました。現在は柱の跡が残されています。
根城の見どころ4 根城の見どころ5 根城の見どころ6
根城の見どころ③武士の生活が分かる遺構
本丸跡にはほかにも当時の武士たちの生活がわかる建物が再現されています。竪穴式の「工房」は鎧や弓などを修理する場所。屋外の「野鍛冶場」は壊れた鉄鍋や銅銭等を溶かしていたことが出土品からわかっています。炉やふいごのある「鍛冶工房」、奥御殿で使う道具や衣類をしまう「板蔵」も復元されています。
ほかにも常御殿や奥御殿の平面復元など当時を感じさせる場所があり、のんびり歩くと南北朝時代にタイムスリップしたかのような気分を味わえますよ。
根城の見どころ7 根城の見どころ8 根城の見どころ9
根城の見どころ④八戸市博物館
史跡根城の広場と同じ敷地内にあるのが八戸市博物館。考古、民俗、歴史、無形民俗資料の常設展示室があり、八戸ゆかりの史料などが見学できます。根城の模型もあるので要チェックです。
考古展示室には根城跡の出土品が展示されています。また、歴史展示室では寛文4年(1664年)に誕生した八戸藩に関する展示があり、見ごたえがありますよ。
根城のフォトスポット
根城らしい写真を撮るなら有料区画の本丸跡に入るのが必須ですが、無料区画にある東善寺館跡などの空堀もポイントです。また、無料区画内には旧八戸城東門が移築されており、こちらはもともと根城の門だったと伝わっています。このほか八戸市博物館前の南部師行像も人気のフォトスポットです。
根城の見どころ10 根城の見どころ11 根城の見どころ12
栗本 奈央子
執筆者 栗本 奈央子(ライター) 元旅行業界誌の記者です。子供のころから日本史・世界史問わず歴史が大好き。普段から寺社仏閣、特に神社巡りを楽しんでおり、歴史上の人物をテーマにした「聖地巡礼」をよくしています。好きな武将は石田三成、好きなお城は熊本城、好きなお城跡は萩城。合戦城跡や城跡の石垣を見ると心がときめきます。