久保田城秋田県秋田市

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久保田城DATA
別称 矢留城、葛根城、秋田城
築城 1604年
住所 秋田県秋田市千秋公園1-39
電話番号 018-832-7892
開館時間 午前9時~午後4時30分
休館日 12月1日から翌年の3月31日まで
登閣料 大人100円・高校生以下は無料

久保田城は日本100名城の一つ。秋田市指定名勝に指定されている。

久保田城への交通アクセス
JR奥羽本線・羽越本線・秋田新幹線「秋田」駅から徒歩約10分。

HISTORY 源氏の名門佐竹氏が築いた久保田城

久保田城は、秋田県秋田市にあった平城です。江戸時代になって築城されたので、石垣がほとんどなく土塁と堀を巡らせた城で、天守閣も最初から作られませんでした。また、幾度も火災に見舞われた城としても知られています。そんな久保田城の歴史を紐解いていきましょう。

江戸時代に入って築城された城
久保田城は、久保田藩初代藩主である佐竹義宣が築いた城です。佐竹義宣は、源義光を祖とする源氏の一族で伊達政宗の母方の従兄弟でもあります。伊達政宗と東北の覇権を巡って争い、豊臣秀吉に所領を安堵されたという経緯があります。また、石田三成の命を救ったという説話でも有名です。 佐竹義宣は、一時期北関東最大の勢力をほこる大大名でしたが、関ヶ原の戦いで実質的に西軍に味方したため、秋田へ移封となり、所領も54万石から20万石へ減らされました。しかし、佐竹義宣はこれにめげず家臣団を再編成し秋田での支配体制を確立し、幕末まで久保田藩の藩主であり続けた佐竹家の基礎を築きます。 なお、佐竹義宣は大阪の夏の陣・冬の陣で優れた武勲を立て、徳川家康に感状を受けたという逸話が残っています。
佐竹義宣は慶長7年(1602年)にかつてこの地を治めていた秋田氏の居城であった湊城に入城しますが、5万石の大名でしかなかった秋田氏の居城は手狭だったので、翌年より久保田城の築城に着手します。佐竹義宣は、久保田城だけでなく城下町や街道の整備も同時に始めました。久保田城は慶長9年(1604年)に竣工します。石垣がほとんどなく、土塁と堀を張り巡らし天守閣を最初から作らないといった太平の世に建造された城らしいの造りです。
久保田城は、記録に残っているだけでも寛永12年(1633年)、安永5年(1776年)、寛政9年(1797年)の3回火災にあっています。その度に再建工事が行なわれて建物も建て直されましたが、明治13年(1880年)に城内の建物が全て焼失する火災がおき、久保田城は往年の面影をなくしてしまいました。
明治以降の久保田城
久保田城は、明治を迎えると一旦陸軍省の持ち物になり、明治23年(1890年)に幕末まで久保田藩主を務めた佐竹氏に払い下げられ、城跡は千秋公園として整備されました。公園内には、あきた芸術劇場ミルハス、秋田市立中央図書館明徳館、秋田市文化創造館、秋田市立佐竹史料館などもあり、観光客ばかりでなく地元の方の憩いの場となっています。 昭和59年(1984年)、佐竹氏が千秋公園を秋田市に寄贈します。 その後、平成元年より本丸新兵具隅櫓(御隅櫓)、本丸表門などが復元されました。 平成18年(2006年)には、日本100名城の9番目に指定され、現在にいたります。
まとめ
久保田城は日本の城郭としては新しく江戸時代に入ってから建築された城ですが、4度の火災に見舞われて、往年の建物はほぼ焼失してしまいました。また、土塁や堀なども大部分が取り壊され、当時の面影を偲ぶものは復元された表門や櫓のみです。 しかし、千秋公園は秋田の名跡として名高く、四季折々の花々などを楽しめます。

久保田城と関連する人物記を読む

佐竹義重鬼義重
平安時代の終わりから常陸国(現在の茨城県)に1つの大名がいました、佐竹家です。戦国時代、この佐竹家の当主に就いたのが佐竹義重でした。義重は南の北条氏政や北の伊達政宗と争いながら常陸国を統一していきます
佐竹義重

久保田城を藩庁とする、久保田藩の歴史

久保田藩佐竹氏が幕末まで治める
久保田藩は別名秋田藩と呼ばれ、関ヶ原の戦いで西軍に味方したことを理由に、常陸国から秋田へ減封となった佐竹氏が幕末まで治めた藩です。佐竹氏は源氏の流れを汲む名門の家柄で、秋田に移ってからは本家のほかに東
久保田藩
久保田藩DATA
藩庁 久保田城
旧地域 出羽国秋田郡
石高 20万5800石
譜代・外様 外様
主な藩主 佐竹氏
推定人口 43万5000人(明治元年)

常陸国54万石の大大名であった佐竹義宣が徳川家康の出兵要請に従わなかったことで出羽国へ転封。石高も20万余石へと激減。

久保田城、佐竹氏が築いた土塁の城

秋田県秋田市にある久保田城は、秋田藩主・佐竹氏が江戸時代に入って神明山に築いた平山城です。天守はなく、石垣もほとんどない、堀と基礎となる石垣の上に土塁を作った「鉢巻土塁」で囲まれた城として知られています。

久保田城
久保田城の歴史
久保田城は久保田藩初代藩主・佐竹義宣が築いた城です。義宣は関ヶ原の戦いの際に東軍方にはいたものの、西軍との関係もあり積極的に動きませんでした。このため慶長7年(1602年)、それまでの常陸国54万石から出羽国秋田郡20万石(※石高は後日決定)に減封になりました。
義宣はまず湊城(現秋田県秋田市)に入城し、慶長8年(1603年)から久保田城の築城を開始します。湊城が平城で規模が小さかったことから新たな拠点として久保田城を造ったようです。ちなみに神明山にはもともと神社がありましたが、築城に伴い遷宮しています。なお、義宣は城に加え城下町や街道の整備も始めています。
慶長9年(1604年)に久保田城の本丸が完成すると同時に湊城は破却されました。その後、三の丸や中通郭などが新設されていき、最終的に城が完成したのは寛永8年(1631年)頃だとされています。佐竹氏は幕末まで久保田藩を治め、久保田城はその中心地であり続けました。明治維新後は本丸に秋田県庁がおかれています。
久保田城には天守がなく、本丸に本丸御殿を置く形でした。天守を造らなかったのは、佐竹氏が減封により財政的な問題を抱えていたことや、徳川幕府に遠慮したことなどが理由と考えられています。
また、久保田城には石垣はほぼなく、鉢巻土塁と堀で城が囲まれていますが、これは石垣用の石が手に入りにくかったことや、城が建てられた時代が江戸時代初期で、戦にあけくれる戦国の世が終焉を迎えていたからだと考えられています。
城は築城後何度も火事の被害を受けており、明治13年(1880年)7月の火災で城内の建物がほぼ焼失したのちは再建されることはありませんでした。城は明治23年(1890年)、陸軍省から佐竹氏に払い下げられ、その後公園として一般公開されます。徐々に整備が進み、昭和41年(1966年)には現在の「千秋公園」に改称されました。その後昭和59年(1984年)、佐竹氏が千秋公園を秋田市に寄贈し、現在に至ります。
平成に入ってからは城の復興が盛んになり、平成元年(1989年)に本丸新兵具隅櫓(御隅櫓)が模擬復興されたのち、平成13年(2001年)、本丸の表門などが復元されました。令和6年(2024年)7月には大手門の堀に浮桟橋タイプの遊歩道が開通。お堀の蓮が楽しめるようになりました。
久保田城の見どころ①実は天守の代わりだった?御隅櫓
久保田城には御隅櫓が8つあったとされていますが、そのうちの一つが「御隅櫓(本丸新兵具隅櫓)」として再築されています。本丸の北西隅のもので、一説では天守の代わりを果たしていたのだとか。
もとは2層櫓でしたが、復元されているものは3層4階です。唐破風に高欄・廻縁と華やかな雰囲気で、最上階が展望台になっています。内部には佐竹氏に関する展示があり、資料館になっています。なお、12月から3月は休館で内部には入れないので注意しましょう。
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久保田城の見どころ②御物頭御番所
久保田城内に唯一残る藩政時代の建物が「御物頭御番所」です。宝暦8年(1758年)から安永7年(1778年)の間に建築されたものだと推定されており、久保田城の二ノ門の開閉や城下の警備、火災時の消火を担当していた「物頭(足軽の組頭)」の詰め所でした。秋田市の指定文化財で、昭和63年(1988年)に保存修理を完了しています。
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久保田城の見どころ③華やかな表門
平成13年(2001年)に復元された表門(一ノ門)は本丸の正門です。木造2階建瓦葺の櫓門は史料や発掘調査の結果などをもとに再建されました。ただし、以前は瓦葺ではなく檜皮葺きだったようです。
なお、門のもともとの礎石は近くに移動して展示されています。
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久保田城の見どころ④佐竹史料館
久保田城の二の丸にある佐竹史料館は佐竹氏にまつわる史料が展示されている史料館です。初代藩主・佐竹義宣やその父・佐竹義重の具足をはじめ、さまざまな史料が展示されています。
残念ながら2025年2月現在、建て替えのために史料館は休館中。2026年10月にリニューアルオープンする予定だそうです。
久保田城のフォトスポット
久保田城のフォトスポットといえば表門や隅櫓。ちょうど2点を結んだ中間には第12代秋田藩主で最後の藩主でもある佐竹義堯像があり、こちらも人気のフォトスポットです。7月下旬から9月上旬の蓮の時期は大手門の堀いっぱいに薄ピンク色の蓮が咲き誇ります。
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栗本 奈央子
執筆者 栗本 奈央子(ライター) 元旅行業界誌の記者です。子供のころから日本史・世界史問わず歴史が大好き。普段から寺社仏閣、特に神社巡りを楽しんでおり、歴史上の人物をテーマにした「聖地巡礼」をよくしています。好きな武将は石田三成、好きなお城は熊本城、好きなお城跡は萩城。合戦城跡や城跡の石垣を見ると心がときめきます。