今帰仁城沖縄県国頭郡

今帰仁城DATA
別称 北山城、山北今帰仁城
築城 13世紀頃
住所 沖縄県国頭郡今帰仁村字今泊5101
電話番号 0980-56-4400
開館時間 8時~18時(9月〜4月)、8時~19時(5月〜8月)
休館日 年中無休
登閣料 大人600円、小中高生450円
今帰仁城への交通アクセス
那覇空港から約110km。

HISTORY 今帰仁城について

今帰仁城と関連する事件を読む

琉球侵攻薩摩・島津氏が琉球を支配下に
慶長14年(1609年)、薩摩藩主・島津忠恒(家久)は兵を率いて琉球王国を攻めて支配下に置きました。これが「琉球侵攻」と呼ばれる事件です。島津侵入事件、島津の琉球入り、琉球出兵などと呼ばれるこの事件に
琉球侵攻

今帰仁城 世界遺産に登録された沖縄のグスク

沖縄県国頭郡今帰仁村にある「今帰仁城」は、首里城とともに沖縄本島のグスク(城)の代表格ともいえる存在です。首里城、中城城とともに100名城に選ばれており、2000年には「琉球王国のグスク及び関連遺産群」として世界文化遺産に登録されました。

今帰仁城
沖縄の「グスク」とは
沖縄の「グスク」は首里城のように「城」表記がされていますが、正確には北海道や本州、四国・九州の城とは異なる存在です。グスクは丘陵地などに作られた野積みの石垣を持つ石造りの城塞であると同時に、いわゆる「御嶽」と呼ばれる拝所を備えた聖域でした。なお、沖縄本島以外の島では「スク」「シュク」など別の呼び方をされています。
グスクの起源については集落説、聖域説、地方の実力者の館説などさまざまですが、主に14世紀に作られており、このころ城塞としての役割を果たすようになったと考えられています。14世紀は沖縄本島で北山、中山、山南の三勢力が争っていた「三山鼎立時代」ですから、戦に備える機能を果たすようになったのは当然かもしれません。
今帰仁城の歴史
今帰仁城は三山鼎立時代、沖縄北部の北山の中心地として栄えました。築城は12世紀から13世紀ころと言われており、14世紀前半から15世紀初頭にはほぼ現在の形になったと推察されています。
今帰仁城は周囲のグスクの中心として勢力をまとめる按司(指導者・有力者)の居城でしたが、やがて中山の尚巴志が3勢力を統一し、1429年に琉球王国が成立します。北山は1416年または1422年に尚巴志らにより滅ぼされましたが、その後も今帰仁城は活用されます。1422年、巴志は息子の尚忠を「北山監守」につけ北部地域を監視・統治させました。
以後、北山監守は今帰仁城を居城に北山を治め続けますが、1609年に薩摩藩が琉球侵攻(己酉の乱)を起こして武力で琉球王国を服属させた際、今帰仁城は炎上。1665年、北山監守が首里城下への移住を命じられるとともに監守職は廃止されました。
監守が住まなくなった後、今帰仁城は拝所として機能し、18世紀には「火神の祠」が建てられました。現在も地元の人々からは聖域としてあがめられ、祭祀が行われています。
今帰仁城の見どころ①曲がりくねった幾重もの石垣と平郎門
首里城以外の「グスク」の特徴として、うねるような曲線を描く石垣があげられるかと思います(厳密には「石塁」だそうですが)。なかでも今帰仁城の石垣は約1.5㎞もあり、高さは最大約8m。首里城に次ぐ大きさを持つグスクで、石垣が広大な敷地に悠々と走る姿は当時の北山の強大な権力を想像させます。
石垣は斜面を利用して幾重にも築かれており、突き出た先から敵を攻撃しやすい屏風型をしていることから敵が攻めにくく、今帰仁城は難攻不落の城として知られていました。琉球王国時代の歌集『おもろさうし』には「ももまかり、つみ、あけて」、つまり百曲がりに積み上がっている石積みの様子が描かれています。
石垣には主に約2億3000年前の中生代の石灰岩が使われており、青みがかった鼠色が特徴。なかからアンモナイトなどの化石が見つかったこともあります。ちなみに首里城や中城城など、ほとんどのグスクは象牙色をした珊瑚礁石灰岩を使っていることが多いので、今帰仁城は少し珍しいグスクです。
本門の平郎門は石積みの門で、1962年に修復されたもの。門の天井は大きな一枚岩を乗せており、崩れないよう工夫されています。門の横には今帰仁城で一番高い大隅(ウーシミ)の石垣があります。
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今帰仁城の見どころ②大庭と御内原
平郎門をくぐって進んでいくと見えてくるのが大庭(ウーミャ)です。大庭までたどりつく道は、整備された七五三式の階段と、岩がむき出しになっていて歩きにくい古道の2種類があります。古道は防衛上の理由から急こう配が続いていますが、当時の雰囲気を肌で感じられるため可能であればこちらを通るのがおすすめです。大庭は祭事や儀式などが行われた重要な場所だと言われており、広場には建物の礎石の一部などが残っています。
隣接する御内原(ウーチバル)は女官たちの生活の場と伝わっており、グスク内で最も神聖な場所・御嶽「テンチジアマチジ」があります。テンチジアマチジでは現在も年2回の祭祀が行われています。
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今帰仁城の見どころ③主郭と志慶真門郭
グスク内で一番高い位置にある主郭には主要な建物が集まっていたことが発掘調査からわかっており、現在も礎石を見ることができます。また、主郭には北山監守が引き上げて以降に設置され、戦後に改築した火神の祠が残されており、現在も祭祀が行われています。
グスクの最奥にある志慶真門郭(しげまじょうかく)は、城主に仕えた人々の住む場所でした。主郭より低い位置にあるため、石垣を眺めるにはもってこいの場所です。
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今帰仁城の撮影スポット
御内原からは美しいサンゴ礁の海を望むことができ、特に北端からの眺めは絶景です。小さな展望台もありますよ。また、志慶真門郭からは石垣と眼下に広がる森の緑、その奥の海が綺麗なコントラストを描く、絶好の撮影スポットになっています。高石垣の力強さを感じられる場所です。
また、今帰仁城はカンヒザクラの名所としても有名です。1月中旬から2月中旬にかけての開花シーズンは、ピンクの桜とグスクの組み合わせも美しいですよ。
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栗本 奈央子
執筆者 栗本 奈央子(ライター) 元旅行業界誌の記者です。子供のころから日本史・世界史問わず歴史が大好き。普段から寺社仏閣、特に神社巡りを楽しんでおり、歴史上の人物をテーマにした「聖地巡礼」をよくしています。好きな武将は石田三成、好きなお城は熊本城、好きなお城跡は萩城。合戦城跡や城跡の石垣を見ると心がときめきます。