萩城跡山口県萩市

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  • 毛利輝元が築いた長州藩の本拠
  • 指月山と日本海を取り込んだ海城
  • 天守台・石垣・堀・城下町が残る世界遺産構成資産

萩城とは、山口県萩市にある江戸時代初期の城跡である。関ヶ原の戦い後、防長二国へ移封された毛利輝元が、慶長9年(1604)に指月山の麓で築城を始め、慶長13年(1608)に完成した。指月山山麓に本丸・二の丸・三の丸を置き、山頂には詰城となる要害を備えた構造で、海と山の地形を防御に取り込んだ城であった。江戸時代を通じて萩藩の政庁となったが、文久3年(1863)に藩庁が山口へ移され、明治時代に建物は解体された。現在は萩城跡指月公園として整備され、天守台、石垣、堀、指月山、旧城下町が往時の姿を伝えている。

萩城跡の特長
目的 長州藩の政庁、防長二国支配の拠点、日本海側の海上交通と萩城下町の支配
特長 毛利輝元、指月山、天守台、石垣、堀、海城、指月公園、萩城下町、世界遺産構成資産
他の城との違い ・関ヶ原の戦い後に減封された毛利氏が、新たな本拠として築いた城である
・指月山の山頂要害と山麓の本丸を組み合わせた、山城と海城の性格を持つ
・萩城下町は世界文化遺産「明治日本の産業革命遺産」の構成資産のひとつで、城跡・旧上級武家地・旧町人地を含む
萩城跡の石垣・土塁
石垣 現存
土塁 一部あり
種類 野面積、打込接、石垣、天守台、水堀、山城、海城、平山城
石材 花崗岩など
特長 萩城跡には、本丸天守台、内堀沿い、二の丸周辺などに石垣が残る。指月山の麓に築かれた本丸・二の丸・三の丸は内堀・中堀・外堀で区切られ、上級家臣の屋敷地であった三の丸、堀内地区も城郭構造の一部として機能した。石垣は自然石を用いた野面積や、割石を用いた打込接が見られ、海に近い城らしく日本海側の地形と水堀を防御に取り込んでいる。建物は残らないが、天守台と堀、指月山の要害跡をあわせて見ることで、萩城の全体像を理解しやすい。
萩城跡DATA
別称 指月城
所在地 山口県萩市
築城 1604年着工、1608年完成
築城者 毛利輝元
住所 山口県萩市堀内1-1
電話番号 0838-25-1826
開園時間 4月~10月は8時~18時30分、11月~2月は8時30分~16時30分、3月は8時30分~18時
休園日 無休
入園料 大人・大学生・高校生220円、中学・小学生100円。旧厚狭毛利家萩屋敷長屋との共通券
備考 萩城跡は国指定史跡で、日本100名城にも選定されている。現在は指月公園として整備され、天守台、石垣、堀、花江茶亭、指月山の要害跡などを見学できる。萩城下町は世界文化遺産「明治日本の産業革命遺産」の構成資産のひとつで、城跡・旧上級武家地・旧町人地を含む。萩循環まぁーるバス「萩城跡・指月公園入口・北門屋敷入口」から徒歩約5分。
萩城跡への交通アクセス
萩循環まぁーるバス(西回りコース)「萩城跡・指月公園入口 北門屋敷入口」バス停より徒歩5分。

HISTORY 今は石垣と堀が残るのみ「萩城跡」

萩城跡は、山口県の萩市にあった平城で、毛利氏の居城、長州藩の藩庁でした。
明治7年(1874年)に発布された廃城令により天守・二の丸・三の丸・櫓といった建物は皆壊され、現在は堀と石垣が残るのみです。
今回は、そんな萩城跡の歴史を紐解いていきましょう。

萩城跡の歴史
1600年 関ヶ原の戦い後、毛利輝元が防長二国へ減封される
1604年 毛利輝元が指月山の麓で萩城の築城を始める
1608年 萩城が完成する
江戸時代 萩城が萩藩、長州藩の政庁として機能する
江戸時代 本丸・二の丸・三の丸が整備され、三の丸の堀内地区には上級家臣の屋敷が置かれる
1863年 藩主毛利敬親が藩庁を萩から山口へ移す
1874年 廃城後、天守をはじめ城内建造物が解体される
明治時代以降 城跡は指月公園として整備され、石垣・堀・天守台が残る
1951年 萩城跡が国の史跡に指定される
2006年 日本100名城に選定される
2015年 萩城下町が世界文化遺産「明治日本の産業革命遺産」の構成資産として登録される
敗軍の将が建てた城
萩城は、慶長9年(1604年)毛利輝元によって築城されました。 毛利輝元は毛利氏14代目当主であり、豊臣政権のでは5大老の1人でした。また、慶長5年(1600年)に起こった関ヶ原の戦いでは西軍の総大将を務めています。 毛利輝元は当時「安芸」(現在の広島県)を中心に山陰・山陽・九州の一部までを領地に持つ日本で最も強大な力を持つ大名の1人でした。 しかし、徳川家康に西軍の総大将としての責任を問われ、領地を山陽・山陰8ヶ国から周防・長門2ヶ国の29万8千石に減封され、さらに当主の座を長男の毛利秀就に譲るように要求されます。
それをすべて飲むことで、毛利輝元は助命されます。そして、現在居城としている広島城から、どこに本拠地を移せばいいのか、幕府におうかがいを建てました。 そのときの候補地が萩・山口・三田尻(防府市)であり、幕府は「海に望み要害の地である萩がよい」と答えたため、萩に城を築くことに決めたといわれています。
なお、幕府は、外様大名の雄である毛利輝元を山陰の僻地に押し込みたい意図があったため、萩に城を築くように命じたという説がありますが、その一方で、毛利氏は萩城は他大名と戦う場所としては優れた「形勝之地」と認識していたという説もあり、毛利氏が無理矢理萩に押し込められたという訳ではなさそうです。
毛利輝元は慶長9年(1604年)に本丸御殿がまだ一部しかできていない状態で、早々に萩城に入城し、最後は萩で没しています。
在りし日の萩城
毛利輝元が築城した萩城は三方を海に囲まれており、日本海に張り出した指月山山頂に詰丸(要害)を造り、そして山麓に梯郭式に本丸・二の丸・三の丸を配置し、三重の堀で囲った平山城でした。 山頂に要害、山麓に館という配置は中世山城によく見られる形で、毛利輝元が背水の陣で築いた城という言い伝えが残っています。本丸跡地は現在の指月公園です。 天守は、5層5階の複合式望楼型で、高さは約21mで、姫路城(31m)、松本城(25m)に次ぐ高さです。 なお、天守は城下町から見えなかったので、藩主の力を誇示する役割は果たせなかったと考えられています。 天守事態は明治7年に解体されましたが、写真は数枚残残っています。なお、現在は勾配の緩やかな裾から上にいくに従って急勾配になっている様子の天守台が残っており、在りし日の姿を偲ぶことが可能です。
現在の萩城跡
現在、本丸跡の総面積約20万㎡の境内が、国定史跡指月公園として萩の名所となっています。 公園内には、天守跡、梨羽家茶室、旧福原家書院、万歳橋、東園のほか、3代藩主毛利敬親が藩主別邸・花江御殿に増築した茶室、「花江茶亭」が明治22年に移築されています。 また、二の丸南門近くにあった「旧厚狭毛利家萩屋敷長屋」が現存しており、昭和41年(1966年)に国の重要文化財に指定され、資料館として機能しています。
指月山の山頂に設けられた要害跡には、土塀の一部や水溜が復元修理されており、石垣とする石を切り出した石切場も残っています。
指月公園は現在萩屈指の桜の名所で、600本のソメイヨシノが植えられていますが、その中で1本だけガクが緑色の純白の桜「ミドリヨシノ」があります。 ミドリヨシノは日本では萩市にのみ2本だけ現存する稀少な種です。 指月公園に足を運んだ際は、ぜひ自分の目で確かめて見てください。 毎年、ソメイヨシノよりも少し早めに開花します。

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萩城跡を藩庁とする、長州藩の歴史

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長州藩DATA
藩庁 萩城跡
旧地域 周防国・長門国
石高 36万9000石
譜代・外様 外様
主な藩主 毛利家
推定人口 79万9,553人(明治2年)

萩城跡、指月山の麓に残る世界遺産の城跡

山口県萩市にあった萩城は、毛利輝元が標高143mの指月山のふもとに築いた平山城で、山の名から「指月城」とも呼ばれます。現在は「萩城跡指月公園」として整備されており、日本100名城にも選ばれました。桜の名所としても親しまれています。

萩城跡
萩城跡の歴史
萩城は慶長9年(1604年)、毛利輝元により築城が開始された城です。輝元は慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いで敗れ、山陽・山陰8ヶ国から周防・長門両国に減封されました。
指月山にはもともと、戦国時代に津和野城主の吉見氏が構えた出城がありました。輝元は江戸幕府に新しい城を建てる旨を告げ、その候補地として萩と山口・防府を挙げます。幕府が選んだのは萩で、この結果、萩に毛利氏の新たな拠点として城を立てることが決定しました。
当時指月山の周囲には干潟が広がっており、築城工事はその埋め立てから始まりました。築城開始後、輝元は本丸御殿が完成した段階で城に入城し、工事の傍らで政務をとりました。そして慶長13年(1608年)、萩城は遂に完成します。
城は本丸、二の丸、三の丸、山頂の詰丸からなる平山城で、天守台には望楼型5重5階の天守がありました。また、城の築城とともに城下町も整備されています。
その後、萩は文久3年(1863年)に藩庁が山口に移るまでの約260年間、毛利氏の本拠地で政治・経済・文化の中心として栄えることとなります。
明治維新後は廃城令により、天守や櫓などの建物が破却されてしまいますが、石垣や堀、礎石や庭園の一部は残りました。昭和26年(1951年)には国の史跡に指定され、平成8年(1996年)から堀や石垣、門の復元・保存事業が開始。平成4年(2006年)に北の総門が復元され、このほか外堀や土塁などが平成23年(2011年)までに整備されました。
そして萩城は「萩城下町」として、城下町とともに2015年7月5日、ユネスコの世界遺産「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」の構成遺産として登録されました。登録理由としては、萩が幕末から明治にかけて、日本の近代化に貢献した人物を多く輩出した地であり、萩藩の産業化や西洋技術の導入について、萩城で政策の協議・決定がなされたためです。
萩城の見どころ①天守台の石垣
かつて5重5階の望楼型天守が建っていた天守台は、今も高さ約11mの石垣が残っています。天守台の石垣は扇の勾配と呼ばれる美しい曲線を描いており、優美な姿を水堀の上に見せています。天守台からの堀や指月山の眺めもおすすめです。
なお、天守については現地の看板等にあるQRコードを読み取ると、明治時代の古写真などをもとに再現した画像がVRで楽しめます。
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萩城の見どころ②随所に残る石垣
萩城は随所に石垣が残り、白い石と内堀との美しいコントラストが特徴です。使われている石は指月山から切り出された花崗岩がメインで、山中には今も石切り場の跡が残ります。
石垣はほとんどが打込ハギですが、場所により野面積みや切込ハギなどもあります。随所に合坂と呼ばれる、石垣に並行して登る階段があるのもポイントです。
さらに本丸門から天守台に続く石垣の裏には非常に大きな雁木(石段)が残されており、迫力満点ですよ。
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萩城の見どころ③指月山詰丸跡
萩城には、指月山山頂に築城された詰丸(要害)が残っています。海陸監視の機能を備えた軍事施設で、戦時の籠城を想定して作られました。本丸と二の丸は石垣と土塀で囲まれており、要所に櫓がありました。
要害へは麓から徒歩20分から30分程度。要害門跡や石垣などが今も残されており、本丸からは日本海や笠山を望めます。
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萩城の見どころ④復元された北の総門
平成4年(2006年)に復元された三の丸の入口である北の総門は、高さ7mを誇る日本最大級の高麗門です。前の土塁や外堀などがのちに整備されており、往時を思わせる付近の景観は人気を博しています。
要害へは麓から徒歩20分から30分程度。要害門跡や石垣などが今も残されており、本丸からは日本海や笠山を望めます。
萩城の見どころ⑤志都岐山神社
萩城跡には毛利元就、隆元、輝元、敬親、元徳を祭神とし、12代までの歴代藩主を祀る志都岐山神社があります。参道には日本ではここでしかみられない純白の桜「ミドリヨシノ」が1本あります。見ごろは3月中旬から下旬までで、山口県の天然記念物です。
このほか、神社前の庭池には長州藩校明倫館にあった太鼓橋「万歳橋」が移築されています。
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萩城跡の撮影スポット
萩城のおすすめフォトスポットは、本丸門前の内堀にある「史跡 萩城址」の前。内堀越しに石垣と指月山、石碑を撮影することができます。天守台跡から石垣を撮影するのもおすすめです。二の丸南門跡にある毛利輝元の銅像もお忘れなく。春には本丸を中心に1000本にも及ぶ桜が咲き誇ります。
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栗本 奈央子
執筆者 栗本 奈央子(ライター) 元旅行業界誌の記者です。子供のころから日本史・世界史問わず歴史が大好き。普段から寺社仏閣、特に神社巡りを楽しんでおり、歴史上の人物をテーマにした「聖地巡礼」をよくしています。好きな武将は石田三成、好きなお城は熊本城、好きなお城跡は萩城。合戦城跡や城跡の石垣を見ると心がときめきます。

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