花巻城岩手県花巻市

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花巻城DATA
別称 鳥谷ヶ崎城
築城 1591年
住所 岩手県花巻市城内11

花巻城は盛岡藩の花巻郡代歴代の居城。

花巻城への交通アクセス
JR「花巻」駅からバス約5分。

HISTORY 花巻城について

花巻城と関連する事件を読む

九戸政実の乱秀吉の天下統一最後の戦い
天正19年(1591年)3月、天下統一をほぼ成し遂げていた豊臣秀吉の前に立ちふさがった最後の敵、それが南部氏の九戸政実(くのへまさざね)です。南部家当主とそれを支持する秀吉に対して反乱を起こし、秀吉率

花巻城を居城とする、盛岡藩の歴史

盛岡藩何度も飢饉に襲われた
盛岡を含む北奥羽は室町時代初期から南部氏によって支配されており、江戸時代も一度も国替えや移封が行われず、南部氏によって治められた珍しい地域です。盛岡は決して稲作に適した地域ではなく、江戸時代を通じて7
盛岡藩DATA
藩庁 盛岡城
旧地域 陸奥国北部
石高 20万石
譜代・外様 外様
主な藩主 南部氏
推定人口 12万人(明治元年)

南部信直の長男・利直が立藩。かつては津軽も支配していたが、津軽為信(大浦為信)の離反により領土を失う。その後、幕末まで確執が続く。

花巻城「東北の関ヶ原」の舞台となった城

岩手県花巻市にあった南部氏の「花巻城」。江戸時代は盛岡に次ぐ第二の都市として栄えた花巻の中心的存在でした。現在は本丸跡が鳥谷ヶ崎公園として整備されているほか、公園周辺に土塁や堀跡などが残されています。

花巻城
花巻城の歴史
花巻城はもとは鎌倉時代から続く豪族「稗貫氏」の居城である「鳥谷ヶ崎城」でした。天正18年(1590年)、豊臣秀吉が奥州仕置をおこないます。この際、稗貫氏は仕置の直前に秀吉が実施していた小田原征伐に参加しなかったことを咎められ、所領を没収されてしまいます。代わって入ったのは五奉行の一人だった浅野長政で、その後は同族の浅野重吉が城に駐留しました。
同年秋、秀吉の仕置の結果領土を取り上げられた大名や旧臣たちは東北の各地で一揆を起こします。それに乗じた稗貫氏は10月、和賀氏とともに蜂起しました。まずは和賀氏の旧領を奪取した一揆勢は、鳥谷ヶ崎城を攻めて約2000の兵で包囲しました(和賀・稗貫一揆)。城は落城寸前まで追い詰められますが、秀吉の命を受けた奥州仕置軍の南部信直の援軍が駆けつけ、なんとか事なきを得ました。
翌天正19年(1591年)3月、南部信直と敵対していた九戸政実が挙兵し「九戸政実の乱」を起こします。激戦の結果、秀吉が編成した奥州再仕置軍が九戸軍をだまし討ちして勝利を収めたことで、東北地方の仕置は終了。稗貫郡は南部氏の所領となり、鳥谷ヶ崎城は城代として南部氏の重臣・北秀愛が入りました。この際城は改修され「花巻城」と改名されています。
しばらくは平穏が訪れましたが、2代目城代となった秀愛の父・北信愛の時代に再び戦が起こります。慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いの際、南部氏は「もう一つの関ヶ原」と呼ばれる慶長出羽合戦に主力軍を出兵させます。そのすきを突いたのが和賀忠親で、伊達政宗にそそのかされて南部領に侵入しました(岩崎一揆)。
和賀軍は同年9月20日に花巻城を夜襲します。「花巻城の夜討ち」と呼ばれるこの戦いは、激戦の末三の丸と二の丸が破られ、本丸近くの御台所前御門で攻防が繰り広げられました。この際、北信愛らは少数の兵に加え、周囲の農民などの協力を得て城を必死に守り、援軍が来るまで何とか持ちこたえました。
関ヶ原の戦いの後、花巻城には本領安堵となった南部利直の次男・政直が城主として入ります。この際城は改修されます。花巻城は舟運・陸運の便が良い交通の要所であったことに加え、和賀忠親をそそのかした伊達政宗の仙台藩との境に近い場所にありました。このため軍事的にも重要な拠点だったことから、近世城郭として城を整えたのです。
政直の死後、花巻城には城代が置かれ、明治2年(1869年)に廃城になるまで和賀・稗貫二郡の中心地として栄えました。
花巻城の見どころ①本丸跡に復元された西御門
花巻城は南北約500m、東西約700m、総面積約20万平方メートルとかなり大きな城でした。城は本丸、二の丸、三の丸からなり、本丸には天守はなく、藩主の過ごす御殿などが置かれていました。
本丸跡は現在鳥谷ヶ崎公園として整備されており、本丸西御門が復元されています。もとは平成4年(1992年)に花巻城整備400年を記念して復元が計画され、平成7年(1995年)に落成しました。西御門は本丸の正門的な存在で、枡形と櫓門が復元されています。
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花巻城の見どころ②堀や土塁の跡
花巻城の跡には市役所や高校、病院等が建っており、江戸時代の姿はなかなか想像しにくいですが、櫓や門などの跡には標柱が建てられているので、それを頼りに散策できます。専用の地図も用意されていますよ。遺構として分かりやすいのが本丸と二の丸の間にある鐘搗堂前御堀で、現在も水をたたえています。このほか東御門跡には高さ3mから4mにも及ぶ土塁が残されています。
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花巻城の見どころ③円城寺門
花巻城跡から歩いて15分ほどにある鳥谷崎神社内には「円城寺門」があります。こちらはもともと和賀氏の本城だった和賀二子城(飛勢城)の大手門でしたが、慶長19年(1614年)頃、花巻城主の南部政直が花巻城を築城する際に移築しました。三の丸搦手である円城寺坂に作られたことから円城寺門と名付けられました。
その後、花巻城の取り壊しの際に門は北上市更木の福盛田氏に払い下げられます。福盛田氏は門を解体して自分の家の門として立て直しました。その後、花巻市の軍医・平野立乾氏が円城寺門を購入して昭和7年(1932年)に鳥谷ヶ崎神社境内に移築したのです。ただし、第二次世界大戦などの影響で昭和30年(1955年)時点では大きく壊れてしまっており、昭和36年(1961年)に花巻市の助成金により復元しています。
門は木造の二階建櫓門で、屋根は木羽葺反りのない切妻造り。妻には梅鉢型の懸魚がつけられています。なお、もともと箱棟の両端には鬼板があったそうですが、現在は保存のため取り外されています。
花巻城の撮影スポット
花巻城らしさを感じられるのが鳥谷ヶ崎公園の本丸西御門です。公園は桜の名所としても有名なので、桜を楽しみながら散策するのもおすすめですよ。
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栗本 奈央子
執筆者 栗本 奈央子(ライター) 元旅行業界誌の記者です。子供のころから日本史・世界史問わず歴史が大好き。普段から寺社仏閣、特に神社巡りを楽しんでおり、歴史上の人物をテーマにした「聖地巡礼」をよくしています。好きな武将は石田三成、好きなお城は熊本城、好きなお城跡は萩城。合戦城跡や城跡の石垣を見ると心がときめきます。