横手城秋田県横手市

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冬の横手城1 冬の横手城2 冬の横手城3 冬の横手城4 冬の横手城5 冬の横手城6 冬の横手城7 冬の横手城8 冬の横手城9 冬の横手城10 冬の横手城11 冬の横手城12 冬の横手城13 冬の横手城14
横手城DATA
別称 朝倉城、阿櫻城、韮城
築城 不明
住所 秋田県横手市城山町29-1
電話番号 0182-32-1096
開館時間 午前9時~午後4時30分
休館日 12月1日から翌年の3月31日まで(2月の「かまくら」期間中を除く)
登閣料 100円

横手城は1868年の戊辰戦争の際に落城。横手城跡は、現在横手公園として整備され、日々市内外の方々が訪れる憩いの場となる。

横手城への交通アクセス
JR奥羽本線・北上線「横手」駅から徒歩約25分。

横手城を居城とする、久保田藩の歴史

久保田藩佐竹氏が幕末まで治める
久保田藩は別名秋田藩と呼ばれ、関ヶ原の戦いで西軍に味方したことを理由に、常陸国から秋田へ減封となった佐竹氏が幕末まで治めた藩です。佐竹氏は源氏の流れを汲む名門の家柄で、秋田に移ってからは本家のほかに東
久保田藩
久保田藩DATA
藩庁 久保田城
旧地域 出羽国秋田郡
石高 20万5800石
譜代・外様 外様
主な藩主 佐竹氏
推定人口 43万5000人(明治元年)

常陸国54万石の大大名であった佐竹義宣が徳川家康の出兵要請に従わなかったことで出羽国へ転封。石高も20万余石へと激減。

横手城 戊辰戦争の激戦地となった「韮城」

秋田県横手市にある横手城は、戦国時代から続く平山城です。幕末には戊辰戦争の激戦地「横手の戦い」の舞台となり、落城しています。本丸には秋田神社があり、二之丸には現在展望台として模擬天守が建っています。

横手城
横手城の歴史
横手城は天文23年(1554年)頃、現在の秋田県南部の有力者だった豪族・小野寺景道によって造られたと伝えられており、昔は朝倉山に築かれたことにちなみ「朝倉城」と呼ばれていました。朝倉山を包む形で横手川が流れており、城の背後は奥羽山脈に続く山々がそびえたつ、一種の天然の要害に城は建てられたのです。
城は連格式の縄張りで、普請の際は石畳や石垣を用いないで土居削崖とし、土くずれを防ぐために土止めを設けています。さらに、城の急斜面を敵が這い上ってこれないように韮(にら)を植えた事にちなみ、「韮城」とも呼ばれています。
慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いの際は小野寺景道の跡を継いだ息子・小野寺義道が東軍方につきます。しかし、仇敵・最上義光が東軍の旗頭として上杉景勝と戦い苦戦していたことから、義道は上杉方について西軍に寝返り、最上領に攻め込みました。このため家康への反逆とみなされ、11月には最上義光の家臣・鮭延愛綱に横手城を攻められています。義道は降伏して城を明け渡しました(横手城の戦い)。結局小野寺氏は慶長6年(1601年)に改易され、石見国津和野(島根県鹿足郡津和野町)に流されました。
かわって横手城に入ったのが佐竹義宣の家臣たち。佐竹義宣が出羽国秋田郡(秋田県)に転封されて久保田城(秋田県秋田市)に入ると、横手城には初代城代として伊達政宗の叔父にあたる伊達盛重が就任。その後、須田盛秀など佐竹氏の重臣たちが入りました。一国一城令が出されたときも、横手城は仙北(横手盆地)支配のための重要拠点だったことから、久保田城の支城として残されました。その後は佐竹氏一門の戸村氏が明治時代まで城代として横手を治めます。
なお、元和8年(1622年)には関ヶ原の戦いでも活躍した徳川家の重臣・本多正純が、2代将軍・徳川秀忠を宇都宮城で殺害しようとしたという「宇都宮城釣天井事件」の結果流罪として横手を訪れています。
次に横手城にスポットライトがあったのは、慶応4年(1868年)の戊辰戦争の時。仙台藩(宮城県・岩手県南部など)・庄内藩(山形県庄内地方)が旧幕府側についたのに対し、佐竹氏の久保田藩(秋田藩・秋田県)は官軍側につき、横手は仙台・庄内藩対久保田藩の激戦地となりました。
横手の戦いと呼ばれるこの戦いでは、横手城に立てこもる久保田藩方を激しい白兵戦の結果仙台藩・庄内藩の旧幕府軍が下しました。この際に横手城は炎上し、8月11日についに落城。その後、横手城は明治4年(1871年)に廃城になりました。
明治12年(1879年)には本丸跡に焼け残った資材を再利用する形で秋田神社が建立。また、跡地は明治35年(1902年)に横手公園として整備され、昭和40年(1965年)には二の丸跡に展望台として模擬天守が建てられました。
横手城の見どころ①模擬天守
昭和40年(1965年)に建てられた展望台・模擬天守は、愛知県の岡崎城をモデルに建てられました。ちなみに横手城には小野寺氏・佐竹氏の時代ともに天守はありませんでした。佐竹氏の時代には二の丸が本丸扱いされ、城代の屋敷が設けられています。
模擬天守4階の展望室は横手盆地に横手川を一望できるビュースポットとして知られています。また、1階から3階は郷土資料館で、横手城の歴史や横手の文化について展示されています。武具や古文書なども見どころの一つです。なお、12月から3月の冬期間は臨時開館時期を除き閉館となるので注意しましょう。
横手城の見どころ1 横手城の見どころ2 横手城の見どころ3
横手城の見どころ②秋田神社
本丸にある秋田神社は明治12年(1879年)、秋田市の八幡秋田神社を分社化し、秋田藩主の佐竹義宣や最後の藩主・佐竹義堯、戊辰戦争の死者を祀る形で建立されました。ご神体は佐竹氏伝来の短刀。拝殿の向拝や妻壁に佐竹家家紋の「五本骨扇に月丸」が掲げられているのが特徴です。
神社は横手城の本丸表門を解体した木材などの遺構を利用して建てられました。また、柱には戊辰戦争の際についた銃弾の跡が残されています。
横手城の見どころ③横手の雪まつり(かまくら)
横手城は冬期間は閉館していますが、毎年2月に開催される「横手の雪まつり」、通称「かまくら」の際は開館します。かまくらは水神を祀る小正月の行事で、現在は市内に約60基のかまくらが出現。子どもたちが通りがかった人に甘酒や焼いた餅を振舞ってくれます。
横手城のある横手公園にもかまくらが作られ、夜はライトアップされた城とかまくらが幻想的な雰囲気です。この時期は夜も横手城内に入れるので、城からの美しい夜景も見どころのひとつとなっています。
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横手城のフォトスポット
横手城の模擬天守の撮影は二の丸から。また、横手公園は桜の名所として知られているので、春は模擬天守と桜を入れた撮影がおすすめです。模擬天守4階の展望室からの美しい眺めはカメラに必ず収めておきましょう。
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栗本 奈央子
執筆者 栗本 奈央子(ライター) 元旅行業界誌の記者です。子供のころから日本史・世界史問わず歴史が大好き。普段から寺社仏閣、特に神社巡りを楽しんでおり、歴史上の人物をテーマにした「聖地巡礼」をよくしています。好きな武将は石田三成、好きなお城は熊本城、好きなお城跡は萩城。合戦城跡や城跡の石垣を見ると心がときめきます。
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