勝瑞城徳島県板野郡

秋の勝瑞城1 秋の勝瑞城2 秋の勝瑞城3 秋の勝瑞城4 秋の勝瑞城5 秋の勝瑞城6
勝瑞城DATA
別称 阿波屋形、下屋形、勝瑞屋形、勝瑞城館
築城 鎌倉時代初期
住所 徳島県板野郡藍住町勝瑞字東勝地29-2

勝瑞城は日本の中世史上重要な城跡。勝瑞は淡路国、讃岐国、阿波国の政治、経済、文化の中心地として栄えた。

勝瑞城への交通アクセス
JR高徳線「勝瑞」駅から徒歩約10分。

HISTORY 勝瑞城について

勝瑞城と関連する事件を読む

四国攻め豊臣秀吉VS長宗我部元親
天正13年(1585年)、信長の後を継いで天下統一に乗り出した豊臣秀吉は、四国の覇者・長宗我部元親を下して四国を統一します。実は元親は秀吉の主君である織田信長と因縁のある人物で、秀吉はいわば信長の後を
四国攻め
中富川の戦い長曾我部元親、阿波を制覇
四国の戦国武将といえばまず思い浮かぶのが土佐国(現高知県)の長宗我部元親ではないでしょうか。そんな元親が阿波国(徳島県)を支配する三好氏を下して阿波国をほぼ制圧したのが、天正10年(1582年)8月か
中富川の戦い

勝瑞城と関連する人物記を読む

三好元長細川家の内乱に終止符を打った武将
室町時代、応仁の乱の後に将軍の権威は低下しました。そんな中、管領に就くことが出来る細川家の当主に細川政元が就くと、細川家の力が大きくなります。ところが細川政元は暗殺されてしまいました。政元がいなくなる
三好元長
About Moi