中城城沖縄県中頭郡

中城城DATA
築城 14世紀後半
住所 沖縄県中頭郡北中城村字大城503
電話番号 098-935-5719
開館時間 8時30分~17時(10月〜4月)、8時30分~18時(5月〜9月)
休館日 年中無休
登閣料 大人400円、中・高校生300円、小学生200円
中城城への交通アクセス
那覇空港自動車道路から沖縄自動車道へ合流し「北中城IC」。

中城城を居城とする、琉球王国の歴史

琉球王国貿易で栄えた
琉球王国は、1429年~1879年まで沖縄県にあった王政の王国です。中国を中心とした東アジア、東南アジア、日本と交易を結んで発展し、独自の文化を築きあげました。王国がなくなった現在でも、沖縄には琉球王
琉球王国
琉球王国DATA
王城 中城城
旧地域 琉球
主な国王 尚氏

中城城、琉球王国を思わせる世界遺産

沖縄県中頭郡中城村にある「中城(なかぐすく)城跡」は首里城や今帰仁城跡などとともに「琉球王国のグスク及び関連遺産群」として世界文化遺産に登録されたグスク(城)です。沖縄県内のグスクとしてはもっとも保存状態が良く、城壁の美しさには定評があります。

中城城
沖縄の「グスク」とは
沖縄の「グスク」は首里「城」のように「城」と表記されますが、正確には北海道や本州、四国・九州の城とは異なる存在です。グスクは丘陵地などに作られた野積みの石垣を持つ石造りの城塞であると同時に、いわゆる「御嶽」と呼ばれる拝所を備えた聖域でした。なお、沖縄本島以外の島では「スク」「シュク」など別の呼び方をされています。
グスクの起源については集落説、聖域説、地方の実力者の館説などさまざまですが、主に14世紀に作られており、このころ城塞としての役割を果たすようになったと考えられています。14世紀は沖縄本島で北山、中山、山南の三勢力が争っていた「三山鼎立時代」ですから、戦に備える機能を果たすようになったのは当然かもしれません。
中城城の歴史
中城は標高約160mの高台にあり、北東から南西にほぼ一直線に築かれた連郭式のグスクです。南は断崖絶壁、北は急傾斜となっています。城は6つの郭からなり、作られた年代により城壁の石積み方法が異なります。
中城は14世紀後半に先中城按司(さきなかぐすくあじ)が築いたとされています。なお、按司というのは地域の領主・支配者のことです。
中城の主として有名なのが、首里王府の命を受けて中城にやってきた武将・護佐丸(ごさまる)です。護佐丸は中山の尚巴志(のちの第一尚氏王統第2代王)とともに琉球王国の成立(1429年)に貢献しました。その功績が認められ座間味を与えられ、座喜味城を築いて同地を治めました。
ところが勝連城主の阿麻和利が勢力を拡大したため、護佐丸は阿麻和利の牽制と首里城の防衛のために1440年ころ中城に移りました。このとき中城を整備し、北の郭や三の郭を増築しています。
そして1458年、「護佐丸・阿麻和利の乱」が起こります。「護佐丸が謀反を企てている」という阿麻和利の讒言により、琉球国第一尚氏第6代国王の尚泰久は阿麻和利に護佐丸追討を命じます。王に逆らう気がない護佐丸は抵抗せずに自刃しますが、その乱の戦地となったのが中城でした。なお、阿麻和利はその後王を討とうとしますが反撃され滅ぼされてしまいます。この乱は詳細がはっきりわかっておらず、現在もさまざまな説があります。
護佐丸亡き後、中城間切(区域)は王府の直轄地となります。江戸時代には一の郭に番所が置かれたこともありました。再び中城に注目が集まったのは1853年ペリー来航のときです。ペリー艦隊は沖縄にも立ち寄っており、島内探検隊を派遣して視察・測量を実施しました。その際ペリーは中城を「石造建築物は賞讃すべき構造」と称賛しています。
明治以降は小学校や役場などが置かれましたが、移転等により城は無人化。第二次世界大戦の際の被害は軽微で、1950年には「中城公園」が開園し、1955年に琉球政府文化財保護委員会が重要文化財の史跡・名勝に指定しています。1972年に沖縄が日本に復帰すると国指定の史跡とされました。2000年には世界遺産に登録され、今に至ります。
中城城跡の見どころ①美しい石垣
中城城跡の一番の見どころは、美しく張り巡らされた琉球石灰岩の石垣です。中城は「一の郭」「二の郭」「三の郭」「北の郭」「西の郭」「南の郭」の6つの郭がありますが、綺麗な曲線を描いて連なる石垣はうっとりさせられます。なかでも「二の郭」の曲線は優美だと人気です。
6つの郭は建てられた時期が異なるため、石積みの技法も異なります。二の郭は一の郭とともに直方体の石をブロック状に美しく積み上げた「布積み(豆腐積み)」。整然と並んだ石垣と沖縄の青い空は絶景です。
護佐丸時代に増築された三の郭と北の郭は「新城(ミーグスク)」と呼ばれる年代が最も新しいもの。このため石積み方法も多角形の石を組み合わせた「相方積み(亀甲乱積み)」に進化しています。
古い城郭である南の郭は野面積み。このあたりは首里遙拝所や神の島である久高島を拝む久高遙拝所など、8つの拝所を持つ聖地です。
中城城の見どころ1 中城城の見どころ2 中城城の見どころ3
中城城跡の見どころ②美しいアーチ形の門
中城城跡には数々の門があります。「北の郭」にある裏門はアーチ型の門で、ペリー艦隊も精巧さを絶賛したことで知られています。このほか、「一の郭」と「二の郭」の間にも美しいアーチ形の門がありますよ。
最も奥にある南西方面に向けて立っている「正門(やぐら門)」は両側に布積みの石垣がせり出しているのが特徴。門の近くには、第2次世界大戦のとき日本軍が防空壕を作ろうと工事をした跡が残っています。石垣の構造がしっかりしすぎていたため工事は難航し、結局途中で諦めたようです。
ちなみに中城城跡の料金所は裏門側にあり、正門までは約1㎞歩く必要があります。正門から見学したい場合は無料の送迎カートを利用するのがおすすめです。
中城城の見どころ4 中城城の見どころ5 中城城の見どころ6
中城城のフォトスポット
美しい石垣が連なる「二の郭」は絶好のフォトスポット。また、「一の郭」には展望台が設置されており、中城湾を一望できますよ。
なお、中城城跡では星空や月を楽しむイベントやナイトウォークイベントなどが定期的に開催されています。夜の特別な姿を楽しみたい場合は申し込んでおきましょう。
中城城の見どころ7 中城城の見どころ8 中城城の見どころ9
栗本 奈央子
執筆者 栗本 奈央子(ライター) 元旅行業界誌の記者です。子供のころから日本史・世界史問わず歴史が大好き。普段から寺社仏閣、特に神社巡りを楽しんでおり、歴史上の人物をテーマにした「聖地巡礼」をよくしています。好きな武将は石田三成、好きなお城は熊本城、好きなお城跡は萩城。合戦城跡や城跡の石垣を見ると心がときめきます。