彦根城滋賀県彦根市

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彦根城DATA
天守 現存天守|国宝五城
別称 金亀城
築城 1603年
住所 滋賀県彦根市金亀町1-16
電話番号 0749-22-2742
開館時間 8:30〜17:00(天守最終入場16:45まで)
休館日 年中無休
登閣料 大人800円/小・中学生200円
彦根城への交通アクセス
JR彦根駅から徒歩約15分。

HISTORY 天守は国宝。井伊家の居城として築かれた彦根城

彦根城は、天守が国宝に指定されている5城のうちの1つです。江戸時代初期に築城され、安政の大獄を行った井伊直弼の生家として有名な井伊家の居城でした。この記事では、まず彦根城の歴史をひもといていきましょう。

石井三成の居城 沢山城から建材を用いて築城された城
彦根城は、江戸時代初期に現在の滋賀県彦根市金亀町の彦根山に築城された城です。低山に築かれる平山城として建築されました。彦根の地はもともと石田三成が「沢山城」を築き、治めていた場所です。慶長5年(1600年)に関ヶ原の戦いが起こり、石田三成が処刑された後、この地は徳川四天王の一人である井伊直政に与えられました。
徳川家康はこの地を関西地方の大名を監視し、いざとなったら戦いの拠点となる鎮西の為の拠点として考えていました。ですから、最も信頼できる部下に与えたのです。井伊直政は当初沢山城に入城しましたが、彼は沢山城の中世的な作りと石田三成の居城であることを嫌い、新しい城の築城を申し出ます。しかし、井伊直政は関ヶ原の戦いの傷が元で、慶長7年(1602年)に死去してしまいました。後を継いだ長男の井伊直継はまだ幼少であったため、家老の木俣守勝が徳川家康にかけあって、慶長8年(1603年)琵琶湖に面した彦根山に築城を開始します。この際、大津城や沢山城の木材が建材として使われました。なお、彦根城の築城には公儀御奉行3名が任じられ、尾張藩や越前藩など7か国12大名が幕府から手伝いを命じられています。このことから、彦根城の築城は天下普請であったことがうかがえます。慶長11年(1606年)に天守が完成し、井伊直政の息子井伊直継が初代当主として彦根城に入城しました。その後、大阪夏の陣後の元和2年(1616年)に御殿の建造が始まり、元和8年(1622年)に全ての建物が完成します。
なお、彦根城は西国大名を抑える拠点として築城されたため、江戸時代初期に築城された城の中では、天守や櫓など軍事設備が充実しています。徳川家康は西国大名が反旗を翻したら沢山城を幕府の拠点として戦をする予定でした。しかし、大阪夏の陣を最後に大規模な戦は起こらず、彦根城の天守や櫓は年貢米を保管する倉庫などとして使われたということです。
その後、彦根城は明治になるまで井伊家の居城として彦根藩の政治の中心地として機能します。安政の大獄や桜田門外の変などで名が知られている幕末の大老井伊直弼は、35才で藩主になるまで彦根で過ごしています。
明治以降の彦根城
明治になり廃藩置県が行われると、全国各地の城は次々と壊されていきました。彦根城も当初は天守が壊されて廃城となる予定でしたが、陸軍省管轄下の施設となったために天守や櫓などの解体を免れます。しかし、老朽化を理由に彦根城は民間へ払い下げられて解体されることになりましたが、明治11年(1817年)に明治天皇が彦根へ行幸した際、同行した大隈重信が天守や櫓の保存を奏上しました。その結果、彦根城の天守や櫓は保存されることになり、最終的に皇室付属地彦根御料所を経て最後の彦根藩主であった井伊直憲に下賜されます。その後、昭和19年(1944年)に井伊家から彦根市へ彦根城が寄付され、昭和26年(1951年)に「彦根城跡」として国の史跡に指定されました。翌年、天守(1棟)と附櫓及び多聞櫓(1棟)の2棟が国宝に指定されます。
現在の彦根城
国宝に指定された彦根城は、昭和32年(1957年)〜昭和43年(1968年)に昭和の大修理、平成5年(1993年)〜平成8年(1996年)に平成の大修理を経て、現在の姿になりました。また、昭和63年(1987年)に御殿が再建されて博物館として運営されています。平成18年(2006年)には、日本の名城100選に選出され、知名度が高まります。そして、翌平成19年(2007年)には、国宝・彦根城築城400年祭が行われ、マスコットキャラクターの「ひこにゃん」が登場しました。ひこにゃんはゆるキャラブームの火付け役となり、現在もその人気は健在です。土日には着ぐるみが彦根城に登場し、観光客の人気となっています。現在の彦根城は、国宝天守閣・重要文化財の太鼓門・各種櫓・馬屋・名勝玄宮園などが公開中です。また、梅林やソメイヨシノなど、たくさんの樹木や草花が植えられており、四季折々の花が楽しめます。

彦根城と関連する事件を読む

桜田門外の変井伊直弼暗殺事件
安政7年(1860年)3月3日、世間に衝撃が走りました。江戸城の桜田門外(現東京都千代田区霞が関)で大老・井伊直弼が水戸藩の浪士たちの襲撃により暗殺されたのです。「桜田門外の変」と呼ばれる事件により、
桜田門外の変

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井伊直政井伊の赤鬼
中国の歴史になぞらえ戦国時代と呼ばれた戦乱の世は、徳川家康により終止符が打たれました。この徳川家康の天下統一を助けた家臣たちのうち、特に有力な4人を徳川四天王と呼びます。この四天王の1人、彦根藩の礎を
井伊直政

彦根城を藩庁とする、彦根藩の歴史

彦根藩譜代大名の筆頭井伊家が治める
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彦根藩
彦根藩DATA
藩庁 彦根城
旧地域 近江国犬上郡
石高 30万石
譜代・外様 譜代
主な藩主 井伊氏
推定人口 20万人(明治元年)

徳川四天王として知られる知将・井伊直政が、石田三成の領地であった東近江に入封。以来、5人の大老を輩出。13代目の藩主・井伊直弼は、日米通商条約の調印や安政の大獄を断行し、桜田門外の変で落命している。

井伊氏ゆかりの城、琵琶湖を見下ろす国宝・彦根城

琵琶湖の近くにある井伊氏ゆかりの国宝・彦根城。ゆるキャラ「ひこにゃん」や数々のドラマのロケ地としても有名です。天守は現存12天守で、江戸時代に建てられた平和な時代を象徴する城として、世界遺産の登録をめざしています。ここでは彦根城の魅力や見どころを解説します。

彦根城
彦根城とその歴史
滋賀県彦根市にある彦根城は江戸幕府のもと、井伊氏により慶長9年(1604年)から約20年かけて築城されました。もともと彦根には石田三成の居城・佐和山城がありましたが、関ヶ原の戦いの後、三成に代わって井伊直政が入りました。その後、徳川家康の命で豊臣秀吉方の西国大名へのにらみを利かせるため、佐和山城の代わりとして築城されたのが彦根城です。
彦根城は佐和山城や大津城、長浜城などから木材や石材などを再利用して建てられた、いわば「リサイクルの城」でした。例えば天守は大津城からの移築で、このため約2年で完成しています。
井伊直政は彦根城の築城なかばで亡くなってしまい、息子の井伊直継とその弟の井伊直孝が引き継ぎます。直継は病弱だったため、大坂冬の陣・夏の陣では代わりに直孝が出陣して活躍。そうした功績もあり井伊家の家督は直孝が継ぐことになりました。その後、直孝は幕政に参加して功績をあげたことで加増され、最終的に彦根藩は18万石から35万石に増えています。その後明治まで井伊家が藩主を務めましたが、明治時代の廃城令で解体の危機に陥ります。
ところが、明治天皇が御幸で立ち寄った際に保存するようにと命じたのです。裏には関係者の働き掛けがあったようですが、この鶴の一声で彦根城は現在まで守られることになったのです。さらに彦根城は堀・中堀と二重の堀がほぼ完全に残る、全国的に珍しい城となりました。
彦根城の見どころ①国宝の天守
天守は3重3階建てで切妻破風、入母屋破風、丸みの帯びた唐破風とデザインの異なる屋根が組み合わさった、華やかな造りが特徴です。2階や3階には格式の高い花頭窓、最上階の3階には飾りとしての廻縁を巡らせており、格式とデザインにこだわりを感じます。
天守の窓からの景色は見事の一言!彦根の町の向こうに琵琶湖が見えるほか、石田三成の佐和山城跡なども一望できますよ。
秀吉方との戦を意識していた、いわば戦時の天守であるため、内部には鉄砲狭間や外側に壁をはめて隠した隠し狭間があります。また、破風の内側は物置として活用されており、鉄砲狭間も設けられています。破風の内側をのぞくことができるのでぜひ見てみてくださいね。
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彦根城の見どころ②登り石垣
彦根城には5ヶ所の「登り石垣」があります。高さ1mから2mの石垣が山の斜面を登るように築かれているもので、斜面を移動する敵兵の動きを阻止するための石垣です。豊臣秀吉が朝鮮を攻めた文禄・慶長の役の際に朝鮮半島南岸に築いた「倭城」でよく見られており、国内では松山城や竹田城などでしか見ることができません。石垣好きは必見です。
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彦根城の見どころ③長浜城から移築した天秤櫓
重要文化財の天秤櫓は長浜城の大手門を移築したと伝わるもので、表門や大手門からの坂道を上がったところにあります。中央の廊下橋は非常時には落とし橋となり、敵兵の侵入を防ぐ仕組みです。上からみるとコの形で、櫓が天秤のように見えることからその名がつけられました。それぞれの櫓の向く方向が異なっているのが特徴で、東が江戸幕府、西が京都または秀吉の大坂城を向いている、という説があるそうです。
また、左右で建物土台の石垣の積み方が異なっており、右側が越前の石工たちによる築城当時の打込接ぎ(うちこみはぎ)積み、左手が幕末に積みかえられた落積み(おとしづみ)です。
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彦根城の見どころ④重要文化財の馬屋
彦根城には城内にこけら葺きの馬屋があります。L字型の建物内には藩主などの馬21頭が収容可能。城内に残された馬屋は他の城には残っておらず、ここでしか見られないこともあり重要文化財に指定されています。
彦根城の見どころ⑤やっぱり会いたい!ひこにゃん
彦根城を一躍有名にした彦根市のゆるキャラ「ひこにゃん」。彦根藩主・井伊直孝をお寺の門前で手招きして雷雨から救ったと伝えられる招き猫と、井伊軍団のシンボル・赤備えの兜が合体して生まれたキャラクターです。
そんなひこにゃんは毎日彦根城周辺で観光客を迎えています。彦根城天守前や表御殿を復元した彦根城博物館の冠木門などに登場するので、ぜひ会って写真を撮りましょう!その日の搭乗時間等は彦根市のひこにゃんページで発表されていますよ。
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彦根城のおすすめ撮影スポット
天守は西の丸や月見櫓跡から撮影するのがおすすめ。回遊式庭園「玄宮園」からの撮影も、近江八景を模したという美しい庭園越しのお城といった構図が絵葉書を思わせる美しさです。特に紅葉の時期がおすすめですよ。このほか桜の時期には、彦根キャッスルリゾート&スパ付近から堀に映し出された桜を撮ってみましょう。
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栗本 奈央子
執筆者 栗本 奈央子(ライター) 元旅行業界誌の記者です。子供のころから日本史・世界史問わず歴史が大好き。普段から寺社仏閣、特に神社巡りを楽しんでおり、歴史上の人物をテーマにした「聖地巡礼」をよくしています。好きな武将は石田三成、好きなお城は熊本城、好きなお城跡は萩城。合戦城跡や城跡の石垣を見ると心がときめきます。
日本の城フォトコンテスト.04