HISTORY
世界遺産に登録された近世城郭を代表する遺構、姫路城
姫路城は、播磨国飾磨郡(現・兵庫県姫路市)の北側にある姫山及び鷺山を中心に築かれた平山城です。江戸時代以前に作られた天守と櫓・渡櫓・棟・門・塀など80棟以上が現存し、8棟が国宝、47棟が重要文化財に指定されています。また、平成5年(1993年)には奈良の法隆寺と共に日本初の世界遺産(文化遺産)に指定された、世界にもその魅力が広く知られるようになりました。ここでは、姫路城の歴史を紐解いていきましょう。
- 姫路城の始まり
- 姫路城の始まりは、元弘3年(1333年)に北朝の武将赤松則村が姫山に砦を築き、その息子赤松則村が本格的な城を築いたことが始まりといわれています。
なお、この説には異論があります。赤松氏が築いたのはあくまでも小さな砦であり、本格的な築城を行ったのは「軍師官兵衛」の通称で有名な黒田孝高(官兵衛)の祖父と父にあたる、黒田重隆と黒田職隆だったというものです。
現在、姫路城の公式ホームページでは、赤松氏が姫路城の前身である城を築いた説を採っています。
その後、赤松氏は赤松満祐の代で6代将軍足利義教を謀殺し、自害します(嘉吉の乱)。
主をなくした姫路城は、後に応仁の乱で西軍の総大将を務める赤松満祐が城代を務めるようになりました。
なお、応仁の乱が勃発した際、赤松氏9代目にあたる赤松政則が姫路城を陥落し、領地を回復します。
その後、姫路城は赤松氏の庶流である小寺氏、さらにその重臣の黒田氏の預かりとなり、天正8年(1580年)羽柴秀吉の中国攻めの本拠地として姫路城は彼に献上されました。
このとき、3層の天守閣が築かれています。天正13年(1585年)より、木下定家が姫路城城主となり、16年間城を守りました。
- 江戸時代の姫路城
- 慶長5年(1600年)に関ヶ原の戦いが起こり、徳川家康が天下統一を果たした後、姫路城は岐阜城攻略の功績として池田輝政に与えられました。
池田輝政は初代姫路城城主として、城の大改修を9年の月日をかけて行います。これにより、姫路城は現在の姿になりました。
その後、姫路城は池田家・本多家・松平家・榊原家など複数の家が城主を務め、増改築が繰り返された後、酒井家が明治維新まで城主を務めました。
- 明治時代以降の姫路城
- 明治維新後、姫路城は一旦陸軍省の管理下になりますがすぐに民間へ払い下げられます。
この際、一度は民間人のものになりましたが間もなく再度国有になります。国有になった姫路城は陸軍兵営地となり、歩兵の駐屯地にするために複数の建物が撤去されました。
その後、残された天守なども腐朽が進みましたが、陸軍の中村重遠工兵大佐が中心となり、姫路城の修復や保存運動が起こります。そして、名古屋城と共に天守や櫓などの保存が決まり、「明治の大修理」と呼ばれる大規模な修繕工事が行われました。
その後、姫路城は軍から姫路市に払い下げられ大正9年(1913年)に一般公開も開始します。昭和2年(1927年)には史跡に、昭和6年(1931年)には国宝保存法に基づき、国宝の指定を受けました。
太平洋戦争中、姫路には2度の空襲がありましたが幸いにも姫路城は大きな被害を免れます。なお、同じように保存された名古屋城は昭和20年(1945年)に空襲により焼失してしまいました。
昭和26年(1951年)戦災を免れた姫路城は改めて天守など8棟が国宝に指定されます。そして、昭和31年(1956年)昭和の大修理と呼ばれる8年をかけた大修復工事が行われました。
平成になると1993年にはユネスコ世界遺産に指定され国内だけでなく国外にまで知名度が高まりました。2009年~2015年にかけては平成の大修理と呼ばれる3回目の天守大修復が行われ、2015年に現在の姿となってグランドオープンしています。
- 現在の姫路城
- 現在の姫路城は天守・櫓など36の棟が見学可能です。公式ホームページでは推奨見学ルートのほか、スマホを使って城の各所の解説が聞ける「姫路城大発見アプリ」などの宣伝をしています。
特に、姫路城大発見アプリは無料で開設が聞けると好評です。
また、トの櫓、搦手周辺など一部の建物は春の特別公開にだけ公開されます。
興味のある人はその時期に行ってみるといいでしょう。
毎年5月にはお城祭が開かれ、大名行列など多彩な歴史絵巻を見ることができます。
このほか、毎年6月には浴衣祭が開催され、浴衣姿の観光客が姫路城に集います。
姫路城といえばサクラとのコラボレーションが有名ですが、現在は夜間のライトアップも行われており、季節によってはプロジェクションマッピングなども開催されています。
このほか、時代劇の撮影場所としても姫路城は頻繁に使われており、松平健主演の「暴れん坊将軍」では、江戸城として登場しました。
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