水戸城茨城県水戸市

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水戸城DATA
別称 馬場城、水府城
築城 1190年〜1198年
住所 茨城県水戸市三の丸2-9-22
水戸城への交通アクセス
JR常磐線「水戸」駅より徒歩約7分。

HISTORY 日本最大級の土の城「水戸城」

水戸城は、茨城県水戸市に建てられていた平城で、日本最大級の「土作りの城」としても有名です。水戸黄門こと水戸光圀が生まれた城でもあり、徳川御三家のひとつ、水戸徳川家の居城としても知られています。そんな水戸城の歴史を紐解いていきましょう。

水戸城設立までの歴史
水戸城のあった場所は平安時代より「馬場氏」という豪族が居城を構えていました。その後、江戸の地名にもなった江戸氏が馬場氏に取って変わり、水戸城を居城とします。
天正18年(1590年)小田原攻めの功績により所領を安堵された佐竹氏が水戸城を強襲し、江戸氏を滅ぼしました。 水戸の地を手に入れた佐竹氏は、水戸城を増築して現在遺構が残る水戸城の形の基礎ができたといわれています。 なお、佐竹氏は関ヶ原の戦いで東軍にも西軍にも付かず中立を守ったために、江戸幕府の成立後に秋田に転封となりました。
明治時代までの水戸城
佐竹氏の転封の後、水戸の地は徳川家康の五男である武田信吉に与えられました。 しかし、武田信吉は翌年に後継がいないまま急死したため、今度は徳川家康の十男にあたる徳川頼宣が封じられます。 徳川頼宣はその後紀州に移封され、紀州藩の改組となりますが、水戸もそのまま徳川家の所領となり、明治まで水戸徳川家によって治められることになりました。
水戸城は同じ徳川家が城主を務める和歌山城や名古屋城と比べると、戦国時代の形式を色濃く残す連郭式の城です。北の那珂川(なかがわ)、南の千波湖(せんばこ)に挟まれた丘陵に建てられ、最大高低差50mもある3本の空堀が最大の特徴となっています。
石垣ではなく土塁の上に建てられたことから、日本最大級の土の城でもあります。 江戸幕府にはばかった天守は作られず、代わりに、外見は三層、中は五階建ての御三階櫓と称す大型の櫓があり、それが天守の代わりとなりました。 また、三の丸には藩校「弘道館」が第9代藩主徳川斉昭の時代に建てられました。
水戸城が藩主の格に比べて質素なのは、水戸城主は参勤交代を基本的に行わず江戸にずっと定石している大名だったためです。 つまり、水戸城は城主不在の城だったのです。 そのため、御殿など政務を行ったり城主の家族や家臣が暮す建物以外は物置などに使われていました。
明治以降の水戸城
明治になると廃藩置県が行われ、水戸城は廃城となりました。 水戸城の敷地は陸軍のものになり、駐屯地となりましたが、櫓をはじめとする建物は取り壊しを免れていました。 しかし、明治5年(1872年)に放火事件が起こり、残された建物の多くが焼失してしまいます。 水戸藩は幕末より改革派の天狗党と保守派の諸生党の争いがあり、たびたび現実的な戦闘が行われるなど一部不穏な空気が残っており、犯人捜しもずいぶんと行われましたが、結局首謀者が逮捕されることはありませんでした。 また、昭和20年(1945年)には空襲によって三階櫓も焼失してしまいます。
戦後、昭和27年(1952年) 弘道館が国の特別史跡に指定され、昭和39年(1964年)には、弘道館正庁、至善堂、正門および塀が国の重要文化財に指定されました。その後、土塁や空堀が茨城県の指定する史跡となっています。
平成になると水戸市によって大手門や二の丸角櫓などの整備計画がたちあがり、「一枚瓦城主」をはじめとする寄付活動も始まりました。 そのかいあって、令和2年(2020年)4月には、大手門が復元されています。 なお「薬医門」のみは江戸時代から現存する唯一の建築物の遺構で、公開もされています。
まとめ
現在の水戸城は鉄筋コンクリートで復元された二の丸櫓、大手門、空堀などがあり、当時を偲ぶことができます。弘道館、偕楽園と共に水戸市の観光資源となっており、とくに梅の季節は偕楽園は全国から観光客が訪れます。

水戸城を藩庁とする、水戸藩の歴史

水戸藩徳川御三家のひとつ
水戸藩は、紀伊徳川家、尾張徳川家と同様、徳川家の「分家」にあたる水戸徳川家が明治維新まで治めた藩です。この3つの家を併せて「御三家」と呼ばれました。将軍に近い家柄のため、歴史の表舞台にたびたび城主が登
水戸藩DATA
藩庁 水戸城
旧地域 常陸国茨城郡水戸
石高 35万石
譜代・外様 親藩
主な藩主 徳川家

水戸城、徳川御三家が治めた日本最大級の「土の城」

茨城県水戸市にある水戸城は、水戸徳川家が居城とした連郭式の平山城です。石垣を用いず、土で築城された日本最大級の「土の城」として知られ、日本百名城にも選ばれました。現在は藩校弘道館や薬医門が残るほか、大手門や二の丸角櫓等が復元されており、往時をしのばせます。

水戸城
水戸城の歴史
水戸城は建久4年(1193年)、地頭の馬場資幹が源頼朝から水戸の地を得て築いた館が始まりだとされています。応永34年(1427年)頃、河和田城主の江戸通房に攻め取られた後は、江戸氏の支配が約170年続きます。当時の水戸城は内城、宿城、浄光寺の3つの郭で成り立っていました。
天正18年(1590年)、豊臣秀吉の小田原征伐で江戸氏は北条側についたため、秀吉側の佐竹義宣は江戸氏の馬場城を攻め落とし、本拠地としました。この際名称が「水戸城」に改められ、城は大改修されました。内城を本丸化し、宿城を二の丸にするなど郭を整備し、二の丸には大手門が造られました。
関ヶ原の戦い後、慶長7年(1602年)に義宣は徳川方として戦に参戦しなかったことで秋田に移封されます。その後武田信吉や徳川頼宣が入り、慶長14年(1609年)に徳川家康の11子である徳川頼房が入封し、水戸藩が成立しました。頼房は三の丸や外堀の拡張工事や二の丸御殿の造営、天守代わりの三階物見櫓などを建設し、水戸城を拡充します。以降は水戸徳川家が御三家として、明治維新まで水戸藩を治めました。
なお、三階物見櫓は明和元年(1764年)の火災で焼失しており、明和6年(1769年)には鯱を掲げて「御三階櫓」と呼ぶようになりました。また、天保12年(1841年)には徳川斉昭により、三の丸に藩校「弘道館」が作られました。
明治維新後、城は明治4年(1871年)に廃城となり、城の建物は徐々に取り壊されていきます。残されていた御三階櫓も昭和20年(1945年)、第二次世界大戦時の空襲で焼失しました。
その後、石垣のない「土の城」であることから跡地には学校などが建ち、堀は鉄道や県道に利用されるなどして、城跡は徐々に人々の生活のなかに消えていきました。
しかし、平成21年(2009年)に水戸城大手門のものと伝わる扉が発見され、水戸市に寄贈されたことから大手門の復元プロジェクトがスタート。令和2年(2020年)2月に天保年間の姿で復元が完了しました。令和3年(2021年)6月にはおなじく復元が完了した二の丸角櫓の一般公開が始まっています。
水戸城の見どころ①復元された大手門と二の丸角櫓
水戸城らしさが残る見どころが、令和2年(2020年)に復元された大手門です。高さ約13m、幅約17mで、土塁につけられた城門としては国内最大級のもので、水戸城の正門にあたります。江戸時代の絵図や発掘調査をもとに天保年間の姿で復元されました。
令和3年(2021年)に復元された二の丸角櫓は木造2重2階の櫓で、中央の角櫓と北多聞櫓、東多聞櫓から構成されています。合わせて土塀も復元されました。内部見学も可能で、水戸城の歴史や、整備復元事業に関するパネルや実物資料が展示されています。
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水戸城の見どころ②「水戸学」の中心地・弘道館
弘道館は徳川斉昭が天保12年(1841年)8月に創設した藩校で、儒学や国学から武術、医学、天文学、蘭学など幅広い学問を学べる総合大学のような存在でした。
弘道館の中心的な建物である正庁や藩主の坐所である至善堂、正門の3ヶ所は国の重要文化財に指定されています。平成27年(2015年)には「旧弘道館」として日本遺産に認定されました。
3ヶ所の重要文化財に加え、弘道館の設立目的や教育方針を記した「弘道館記碑」が納められた八卦堂、弘道館建学の精神である「神儒一致」を現した孔子廟・鹿島神社など多くの見どころがあり、時間をかけて回りたいスポットです。
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水戸城の見どころ③土塁や堀
水戸城は大規模な土塁に加え、西側の台地には5重の堀、東の低地には3重の堀を巡らせた「土の城」でした。現在も土塁や堀は残されており、三の丸西側の空堀や二の丸角櫓の土塁から当時の様子がうかがえます。
また、水戸城の本丸と二の丸を分ける大規模な堀切には、現在JR水郡線が走っており、ダイナミックな構造を確認できます。
水戸城の見どころ④現存する薬医門
当時の建物として残されているのが、本丸跡の入口にあった「薬医門」で、安土桃山時代末期に建てられたと推測されています。水戸第一高等学校構内にありますが、見学可能です。
水戸城のおすすめフォトスポット
復元された大手門や二の丸角櫓、薬医門など、城らしい姿が残る建物の撮影がおすすめ。大手門付近の徳川斉昭公像の銅像は見逃さないようにしましょう。巨大な堀切はJRの電車とともに撮影したいところです。
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栗本 奈央子
執筆者 栗本 奈央子(ライター) 元旅行業界誌の記者です。子供のころから日本史・世界史問わず歴史が大好き。普段から寺社仏閣、特に神社巡りを楽しんでおり、歴史上の人物をテーマにした「聖地巡礼」をよくしています。好きな武将は石田三成、好きなお城は熊本城、好きなお城跡は萩城。合戦城跡や城跡の石垣を見ると心がときめきます。