HISTORY
山陰地方唯一の現存天守松江城の歴史
松江城は慶長6年(1611年)に築城され、日本に12しか存在していない現存天守の1つです。築城当時「千鳥破風」という装飾があったため「千鳥城」という別名がついたという説があります。そんな松江城の歴史をひもといていきましょう。
- 江戸時代以前の松江城
- 松江城の始まりは、出雲・隠岐の守護を務めた佐々木胤清という人物が鎌倉時代に建てた「末次城」といわれています。佐々木氏は後に末次を名乗ったのでこの名がつきました。末次城は戦国時代に尼子、大内、毛利といった山陰の大名達の間で何度も所有者を変えましたが、慶長5年(1600年)に起こった関ヶ原の戦いで戦功のあった堀尾忠氏に隠岐・出雲24万石が与えられたことで、堀尾氏のものとなりました。堀尾忠氏は当初月山富田城に入城しましたが、この城は山城であったため城下町を形成するのには向いておらず、末次城の跡地に新たなる城を作ることを決意します。これが、松江城となりました。
- 江戸時代の松江城
- 堀尾忠氏は、慶長8年(1603年)に江戸幕府より許可を得て松江城の築城を父、梶尾吉晴と共に開始します。このとき、松江城をどこに築くかについて父子の間で意見が割れ、最後まで一致はしなかったという説があります。結局築城の地は梶尾忠氏の選定した現在の場所に決まりましたが、慶長9年(1604年)忠氏は27才の若さで休止してしまいます。堀尾忠氏の跡は嫡子の堀尾忠晴が継ぎますが、幼少だったため祖父の梶尾吉晴が後見人となり、慶長16年(1611年)に松江城は完成します。
なお、梶尾吉晴は、同年の6月に没し、寛永10年(1633年)に堀尾忠晴も嫡子を作らないまま亡くなってしまいました。そのため、梶尾氏は3代目で改易となります。その後、京極忠高が若狭国小浜藩より移封され、松江城三の丸を造営し、現在の松江城が完成します。
このときの松江城は千鳥破風と呼ばれる飾りがついていたため、「千鳥城」という別名がついたのではないかといわれています。2016年の調査で、松江城の天守に「千鳥破風」を取り付けた穴とみられる痕跡が4か所見つかりました。これにより1644年〜48年に描かれたとみられている「出雲国松江城絵図」にある、5重の外観を持つ松江城の天守の絵図が誇張ではなかった可能性が出てきたのです。なお、現在の松江城の天守は4重で千鳥破風ではなく「入り母屋破風」がついています。松江城は、元文3年(1738年)〜寛保3年(1743年)に天守の大改築が行われたという記録が残っており、その際、築城時の天守と大きく形が変わっている可能性があります。
移封された京極忠高も嫡子がなかったため、寛永14年(1637年)に彼が病没すると京極家は断絶しました。その後、寛永15年(1638年)に信濃国松本藩より松平直政が移封され、以後、松平家が明治維新まで松江藩を治め続けます。
- 明治以降の松江城
- 明治4年(1871年)に廃藩置県が行われると松江城は廃城となり、建物はすべて当時の価格で4〜5円で民間に売却されました。天守も180円で売却される予定でしたが、豪農の勝部本右衛門・元藩士の高木権八らが同額を国に寄付することで実質買取が行われ、天守の保存が決まります。その後、明治22年には当時の県知事である籠手田安定によって「松江城天守閣景観維持会」が組織され、県をあげて天守が保護されるようになりました。
昭和2年(1927年)には、天守の立つ土地を保有している松平家が天守ごと土地を県に寄付し、公園として広く市民に開放されます。
昭和10年(1935年)には、当時の国宝保存法に基づき国宝(現在の重要文化財)に指定されました。なお、天守閣は昭和25年(1950年)に文化財保護法が施行されたことにより一旦重要文化財になりますが、平成27年(2015年)に、天守が完成した際に使われた「祈祷札」が再発見されたことにより、再度国宝に認定されます。
その後、松江城は太平洋戦争中も空襲に遭うことなく終戦を迎え、昭和25年(1950年)には天守の大修理が行われ、昭和35年(1960年)には本丸一ノ門と南多聞の一部が復元されました。平成に入ると、廊下門(千鳥橋)・二の丸下段の北惣門橋・二の丸南櫓と塀・中櫓・太鼓櫓など、明治になって解体された建物が次々と復元されていきます。そして、平成18年(2006年)には日本百名城の1つに認定されました。
現在、松江城は天守内部が公開されており、江戸時代のままの姿を隅々まで見ることができます。また、1月1日は限定50名ではありますが天守から初日の出を拝めるイベントが毎年行われ、人気です。このほか、椿祭や桜の開花に合わせたお城祭など1年を通して様々な行事が行われ、松江観光の中心となっています。
松江城と関連する人物記を読む
- 松平直政大坂の陣で活躍した出世株
- 室町時代後期、中国の歴史になぞらえて戦国時代とも呼ばれた戦乱の世。この時代に終止符を打ったのが、徳川家康。家康は多くの家来に支えられ、江戸幕府を興して天下人となります。家康の孫として大坂の陣で活躍した