HISTORY
「出世城」の別名を持つ浜松城
浜松城は、静岡県浜松市中区にある城跡です。
徳川家康がかつて自身の拠点にした城として有名ですが、江戸時代になってから歴代城主の多くが幕府の重鎮として出世していったので、「出世城」の異名がつきました。
そんな浜松城の歴史を紐解いていきましょう。
- 江戸時代以前の浜松城
- 浜松城は、15世紀頃に築城された曳馬城を改修・増築した城です。
曳馬城が、誰の手によって築城されたのかは分かりませんが、16世紀の前半には今川氏の配下である飯尾氏が城主を勤めていた、と記録に残っています。
なお、曳馬城の跡地には現在、元城町東照宮が建っています。
元亀元年(1570年)に徳川家康が曳馬城に入城し、大幅な改修と城郭の拡張、城下町の整備を行いました。
このとき、曳馬城から浜松城に改名されています。
なお、浜松城への入城は武田信玄の侵攻に備えるためといわれています。
徳川家康が改修した浜松城は、本丸~三の丸までがほぼ一直線に並ぶ、「梯郭式」という方式で、三方ヶ原台地の斜面に沿って建てられました。
徳川家康は29歳~45歳まで、浜松城の城主として過ごします。
この間、三方ヶ原の合戦を皮切りに、姉川、長篠、小牧・長久手の戦いなど日本史に名が残る戦いが起こりました。
特に、三方ヶ原の合戦は徳川家康が生涯に経験した戦の中で最大の敗北を喫した戦いであり、このときに命からがら浜松城へ逃げ帰った痕跡が、地名として浜松城付近に今も残っています。
- 江戸時代以降の浜松城
- 徳川家康が江戸幕府を開き、拠点を江戸に移した後、浜松城は譜代大名が九家二十二代に渡って治めました。
徳川家康が改修・拡張した浜松城は土造りで石垣や瓦葺建物も備えていない戦闘のための実用的な城でした。
そのため、歴代城主によって改築が進められます。
しかし、堀尾氏在城期に創建された天守は17世紀に姿を消し、以後天守門が浜松城のシンボルとなりました。
また、本丸にあった二重櫓が天守代用として使われていたようです。
このほか、浜松城の城主となった大名は幕府の要職に就くことが多かったことから、「出世城」という異名を持ちました。
- 明治以降の浜松城
- 明治になると、浜松城は廃城になり、建てものは全て取り壊されました。
その後、戦争を経て昭和25年(1950年)に浜松城公園として整備されました。
昭和33年(1958年)に鉄筋コンクリート製の復興天守が再建され、昭和34年(1959年)には浜松市の史跡として指定されます。
平成26年(2014年)には天守門が復元され、平成29年(2019年)には、続日本100名城に選定されました。
なお、野積みの石垣だけは江戸時代当時のままです。
復興天守内は資料館になっており、浜松城の歴史や徳川家康の生涯などを知ることができます。
- まとめ
- 浜松城は徳川家康が青年期の尾張から壮年期を過ごし、天下統一の基礎を築いた城です。
しかし、江戸城や駿府城などに比べるとやや知名度は低めでした。
2023年の大河ドラマが徳川家康の青年期~壮年期ということで、再び浜松城に注目が集まっています。
ドラマの中で浜松城がどのように描かれるか楽しみですね。
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