浜松城静岡県浜松市

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浜松城DATA
別称 曳馬城、出世城
築城 1532年
住所 静岡県浜松市中区元城町100-2
電話番号 053-453-3872
開館時間 午前8時30分~午後16時30分(入場は10分前まで)
休館日 12月29日・30日・31日
登閣料 大人200円/中学生以下無料

徳川家康が17年間在城した浜松城は、江戸幕府300年の原点となった出世城。天下人となった徳川家康が、戦い生き延びて天下盗りの夢をつかんだ場所が浜松城です。

浜松城への交通アクセス
JR松本駅バス停から、松本電鉄バスタウンスニーカー北コースで約10分、「浜松城黒門」バス停下車。

HISTORY 「出世城」の別名を持つ浜松城

浜松城は、静岡県浜松市中区にある城跡です。 徳川家康がかつて自身の拠点にした城として有名ですが、江戸時代になってから歴代城主の多くが幕府の重鎮として出世していったので、「出世城」の異名がつきました。 そんな浜松城の歴史を紐解いていきましょう。

江戸時代以前の浜松城
浜松城は、15世紀頃に築城された曳馬城を改修・増築した城です。 曳馬城が、誰の手によって築城されたのかは分かりませんが、16世紀の前半には今川氏の配下である飯尾氏が城主を勤めていた、と記録に残っています。 なお、曳馬城の跡地には現在、元城町東照宮が建っています。
元亀元年(1570年)に徳川家康が曳馬城に入城し、大幅な改修と城郭の拡張、城下町の整備を行いました。 このとき、曳馬城から浜松城に改名されています。 なお、浜松城への入城は武田信玄の侵攻に備えるためといわれています。 徳川家康が改修した浜松城は、本丸~三の丸までがほぼ一直線に並ぶ、「梯郭式」という方式で、三方ヶ原台地の斜面に沿って建てられました。
徳川家康は29歳~45歳まで、浜松城の城主として過ごします。 この間、三方ヶ原の合戦を皮切りに、姉川、長篠、小牧・長久手の戦いなど日本史に名が残る戦いが起こりました。 特に、三方ヶ原の合戦は徳川家康が生涯に経験した戦の中で最大の敗北を喫した戦いであり、このときに命からがら浜松城へ逃げ帰った痕跡が、地名として浜松城付近に今も残っています。
江戸時代以降の浜松城
徳川家康が江戸幕府を開き、拠点を江戸に移した後、浜松城は譜代大名が九家二十二代に渡って治めました。 徳川家康が改修・拡張した浜松城は土造りで石垣や瓦葺建物も備えていない戦闘のための実用的な城でした。 そのため、歴代城主によって改築が進められます。 しかし、堀尾氏在城期に創建された天守は17世紀に姿を消し、以後天守門が浜松城のシンボルとなりました。 また、本丸にあった二重櫓が天守代用として使われていたようです。 このほか、浜松城の城主となった大名は幕府の要職に就くことが多かったことから、「出世城」という異名を持ちました。
明治以降の浜松城
明治になると、浜松城は廃城になり、建てものは全て取り壊されました。 その後、戦争を経て昭和25年(1950年)に浜松城公園として整備されました。
昭和33年(1958年)に鉄筋コンクリート製の復興天守が再建され、昭和34年(1959年)には浜松市の史跡として指定されます。
平成26年(2014年)には天守門が復元され、平成29年(2019年)には、続日本100名城に選定されました。
なお、野積みの石垣だけは江戸時代当時のままです。 復興天守内は資料館になっており、浜松城の歴史や徳川家康の生涯などを知ることができます。
まとめ
浜松城は徳川家康が青年期の尾張から壮年期を過ごし、天下統一の基礎を築いた城です。 しかし、江戸城や駿府城などに比べるとやや知名度は低めでした。 2023年の大河ドラマが徳川家康の青年期~壮年期ということで、再び浜松城に注目が集まっています。 ドラマの中で浜松城がどのように描かれるか楽しみですね。

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浜松藩
浜松藩DATA
藩庁 浜松城
旧地域 遠江国敷知郡浜松宿
石高 6万石
譜代・外様 譜代
主な藩主 桜井松平氏、高力氏、大給松平氏、太田氏、青山氏、本庄松平氏、大河内松平氏、井上氏、水野氏
推定人口 12万人(明治元年)

徳川家康の居城だった浜松城には、松平氏を始め、譜代大名が次々と入れ代わった。「出世城」とも呼ばれる。

浜松城、徳川家康が建てた「出世城」

徳川家康が三方原台地の東南端に築いた浜松城(現静岡県浜松市)。家康が江戸幕府を開き、その後の城主も次々と幕府の要職に就いたことから「出世城」と呼ばれています。現在は浜松城公園のなかに再建された天守が残ります。

浜松城
浜松城の歴史
浜松城は元亀元年(1570年)、徳川家康が武田信玄対策を見据えて建てた平山城です。元は今川氏が永正年間(1504年〜1520年)頃に築城した曳馬(引馬・引間)城で、家康は城を改修・拡大する形で浜松城を築城しました。伝説によれば、家康は曳馬という名称が「馬を引く=敗北」につながるとの考えから、地名と城の名をかつて同地にあった荘園・浜松荘に因み「浜松」に改称しました。
家康と信玄は、信玄が永禄11年(1568年)から旧今川領等を攻める「駿河侵攻」の際に同盟を結んでいましたが、信玄の部下が同盟を破ったことで家康は信玄に不信感を覚えます。そして元亀元年(1570年)、家康は武田氏と手を切り上杉氏と同盟を結びました。このため家康は信玄対策を考えなければならず、拠点を岡崎城から遠江を見渡せる浜松の地に本拠地を移しました。
その後、家康は天正14年(1586年)に駿府城へ移るまでの17年間を浜松城で過ごします。浜松城時代の戦いで有名なのが元亀3年(1572年)「三方ヶ原の戦い」で、家康の生涯で最大の敗戦と言われています。
家康の後、浜松城は家臣の菅沼定政が城代として入ります。天正18年(1590年)には実権を握った豊臣秀吉が家康を江戸城に向かわせ、家康の旧領には秀吉の家臣が入ることに。浜松城も例外ではなく、秀吉の家臣・堀尾吉晴が2代目城主として入りました。
吉晴は浜松城を大改修し、この時高石垣や瓦葺の櫓・城門、天守が建てられたと言われています(天守については家康の時代からあったとの説も)。その後、吉晴の息子・堀尾忠氏が跡を継ぎましたが、関ヶ原の戦いの功績で、出雲・隠岐24万石に加増転封。代わって松平忠頼が入り、その後は松平氏をはじめ家康ゆかりの譜代大名などが城主になっています。
藩政260年のうちの25代城主を見ると、要職に就いた人物が多く、兼任を含めると25人中老中が5人、大坂城代が2人、京都所司代が2人、寺社奉行が4人!!有名なのが「天保の改革」で知られる水野忠邦で、家康にあやかって自ら進んで浜松城主になったそうです。
そんな浜松城も明治維新後は廃城になり、跡地には昭和25年(1950年)に「浜松こども博覧会」の開催と動物園の開園を機に「浜松城公園」が開設。昭和33年(1958年)には鉄筋コンクリート製で復興天守が再建されています。
浜松城の見どころ①復興天守
浜松城公園内にある復興天守は望楼型の三重天守で、当時の天守台の上に建てられました。実は家康の築いた浜松城は石垣や天守はなく、土塁に囲まれた曲輪と板葺きの屋敷からなるものだと推察されています。
天守が建てられたのは2代目の堀尾吉晴のころだったようですが、17世紀の絵図では描かれておらず、江戸時代の前期には失われていたようです。天守台のサイズから推察すると四重五階で現在の復興天守の1.5倍だったようです。
天守の内部は博物館になっており、2021年にリニューアルオープン。1階は若き家康の浜松城時代の家康がテーマで、三方ヶ原の戦いに出陣する31歳の若き徳川家康公を再現した等身大の像が展示されています。家康所有の甲冑(複製)や、本田家に伝わった甲冑も見どころです。
2階は歴代城主について解説されているほか、発掘調査で見つかった出土品も展示されています。縮尺600分の1で再現された、江戸時代後期の復元モデルもありますよ。
3階の展望室からは北に三方ヶ原古戦場、南に遠州灘、西に浜名湖が楽しめます。晴れた日には東側に富士山がきれいに見えるのだとか。天井にある歴代城主の家紋にも注目です。
また、天守の地下には発掘調査で見つかった直径1.3m、深さ1mの井戸が展示されており、こちらも要チェックです。
浜松城の見どころ1 浜松城の見どころ2 浜松城の見どころ3
浜松城の見どころ②400年前の石垣と天守門
浜松城は400年前の石垣が残されています。石垣は野面積みで、主に珪岩が使われています。石垣ができたのは2代目城主・堀尾吉晴の前後だと推察されており、天守台と天守門付近の石垣が特に固くなっています。ちなみに天守台にはハート形をした石があるとSNSで話題になり、多くの人が石探しを楽しんでいます。
天守台の東には2014年に復元された天守門(艪門)があり、門の石垣正面には「鏡石」と呼ばれる巨石が配されています。こちらは発掘調査で見つかった礎石や江戸時代後期の絵図などをもとに復元したもので、石落としも再現されています。内部では発掘庁舎の結果や出土品などが展示されているのでお見逃しなく。
浜松城の見どころ4 浜松城の見どころ5 浜松城の見どころ6
浜松城のフォトスポット
浜松城の撮影に最適なのが富士見櫓や本丸南広場で、天守と石垣がきれいに撮影できます。遠くから天守台を入れて全体を撮影するなら浜松市市役所の屋上へ。無料で開放されていますよ。このほか天守閣の東側にある家康公像もフォトスポットとして人気です。
浜松城の見どころ7 浜松城の見どころ8 浜松城の見どころ9
栗本 奈央子
執筆者 栗本 奈央子(ライター) 元旅行業界誌の記者です。子供のころから日本史・世界史問わず歴史が大好き。普段から寺社仏閣、特に神社巡りを楽しんでおり、歴史上の人物をテーマにした「聖地巡礼」をよくしています。好きな武将は石田三成、好きなお城は熊本城、好きなお城跡は萩城。合戦城跡や城跡の石垣を見ると心がときめきます。