新発田城新潟県新発田市

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新発田城DATA
別称 菖蒲城・舟形城
築城 不明
住所 新潟県新発田市大手町6-4

別名「あやめ城」とも呼ばれ、初代新発田藩主溝口秀勝が慶長3年(1598年)に築城、3代宣直のときに完成。政治・経済の中心として交通の便利さを考え、平地につくった平城。

新発田城への交通アクセス
JR羽越本線「新発田駅」から徒歩約20分。

HISTORY あやめ城の別名を持つ新発田(しばた)城

新発田城は新潟県新発田市に存在した平城です。城が完全な形になったのが承応3年(1654年)と遅かったため、天守閣の代わりに三階櫓がしつらえられています。現在は敷地の一部が自衛隊駐屯地になっていますが、新潟県唯一の建築がある城跡として日本100名城の1つにも数えられています。 そんな、新発田城の歴史を紐解いていきましょう。

江戸時代以前の新発田
新発田の地は、鎌倉幕府成立にも貢献した佐々木盛綱を祖とする新発田氏が室町時代より治めていました。この地に城を築いたのも新発田氏が最初です。旧新発田城は代々新発田氏の居城となってきましたが、天正9年(1581年)、新発田重家が君主である上杉景勝に対して反乱を起こします。(新発田重家の乱)乱は天正15年(1587年)まで続き、新発田氏は亡びました。旧新発田城もこのときに落城しています。
その後、上杉氏は豊臣秀吉の命令によって会津に移封され、その後慶長2年(1597年)、溝口秀勝が6万石で新発田の地を拝領しました。彼は、旧新発田城の跡地に新しい城を建築し始めます。これが、現在復元された新発田城です。なお、築城が完全に終了したのは承応3年(1654年)であり、完成まで50年以上の年月が経っています。
江戸時代の新発田城
新発田城は、戦乱の世がほぼ終った慶長2年(1597年)に平地に作られた城です。天守閣は最初から作られず、本丸の北西隅に三重櫓を作り天守閣の代わりとしました。「三階櫓」と名付けられたそこは、寛文8年(1668年)の火災で焼失した後、延宝7年(1679年)に再建されています。再建された三階櫓は3重目の屋根棟が丁字型になっており、3匹の鯱が飾られていました。これは非常に珍しい形で、現在では新発田城以外に見ることはできません。三階櫓は明治7年(1894年)に破棄された後、平成16年(2004年)に再建されています。
また、積雪対策としてなまこ壁が用いられたり、建物の屋根が一部茅葺であったりと戦用の城でないことがわかります。別名を「あやめ城」とも呼ばれたことから、当時から戦ではなく、政庁としての機能を最優先して建てられていたと推測されます。
江戸時代以降の新発田城
明治になって廃城令が発令されると、新発田城は歩兵第8大隊をはじめとする陸軍の駐屯所が置かれました。明治初期は陸軍の駐屯所が城の跡地に置かれることは珍しくありませんでした。しかし、新発田城以外に新潟県内に部隊が駐屯できるところがなかったことから明治6年まで歩兵第8大隊は新発田城に駐屯した後、高崎に移ります。それでも、全舞台揃っての移動ではなく、第2中隊が新発田城に残ったままでした。その後、第二中隊は歩兵第16連隊に拡充し、結局太平洋戦争が終るまで新発田城は駐屯地であり続けたのです。明治に陸軍の駐屯地になった城跡のほとんどが、大正期には自治体に土地が返還されて公園等に整備された中、陸軍が常駐していた新発田城は異例です。
なお、太平洋戦争後も新発田城の一部は自衛隊の駐屯地となっており、復元された三階櫓も自衛隊の敷地内にあるため内部は見学できません。 その一方で、自衛隊の敷地以外のところは城址公園として整備され、国の重要文化財に指定されている本丸表門や旧二の丸隅櫓、三階櫓と同時期に復元された辰巳櫓は見学が可能です。 ちなみに、日本唯一の3匹の鯱も外から見学できます。
現在、新発田城は復元された三階櫓と自衛隊の車両や自衛隊員を一緒に見ることができ、映画「戦後自衛隊のようだ」と人気があります。基地が開放されて模擬訓練が見学できる記念行事の日には、珍しい光景を一目見ようと多くの見学者が訪れる観光地となりました。
まとめ
新発田城は戦乱が過去の物になりつつある時代に築城され、明治から現在まで陸軍や自衛隊の駐屯地になった珍しい城です。 平成18年(2006年)には日本100名城の1つに選ばれ、城址公園では四季折々の花が楽しめます。桜の時期はライトアップも行われるため、夜桜の見物に多くの方が訪れます。

新発田城を藩庁とする、新発田藩の歴史

新発田藩新田開発に力をそそいだ
新発田藩は、現在の新潟県新発田市を中心に下越地方の一部まで治めた藩です。元々は上杉氏に仕える新発田氏の所領でしたが、天正9年(1581年)に新発田重家が乱を起こし、上杉景勝に滅ぼされました。その後、溝
新発田藩DATA
藩庁 新発田城
旧地域 越後国蒲原郡新発田
石高 10万石
譜代・外様 外様
主な藩主 新発田氏、溝口氏
推定人口 19万人(明治元年)

溝口秀勝が所領を安堵。以降溝口家が12代続く。尊王開国論を唱えた10代溝口直諒が「報国説」を著す。

新発田城、三体の鯱を載せた独特の櫓を持つ城

新潟県新発田市にある新発田城は、新潟県内で唯一現存建築が残る城で、春は桜の名所として知られています。周囲の湿地に菖蒲が咲いていたことから「菖蒲城」、本丸が舟のような形をしていることから「舟形城」とも呼ばれました。城跡の大部分は陸上自衛隊の駐屯地となっており、現在は城の一部が見学できます。日本100名城にも選ばれました。

新発田城
新発田城の歴史
新発田城の築城時期は不明ですが、佐々木盛綱の傍系である新発田氏が鎌倉初期に築城したと考えられています。天正9年(1581年)、新発田重家が主君の上杉景勝に対し反乱を起こしましたが、上杉軍の猛攻により新発田城は落城し、新発田氏は滅亡しました(新発田重家の乱)。
その後、慶長3年(1598年)に豊臣秀吉は上杉氏を会津に移封します。代わって新発田6万石に入ったのが溝口秀勝で、同年から新発田城の築城を開始しました。城が完成したのは50年以上後の承応3年(1654年)、3代藩主溝口宣直の時代だったといわれています。
新発田城は輪郭式の平城で、南北に長いひょうたん型の縄張りでした。三階櫓を天守の代用とする構成で、天守は建てられていません。
江戸時代を通じて溝口氏は改易されることなく新発田藩を治め、城も安定的に維持されました。寛文8年(1668年)、寛文9年(1669年)、享保4年(1719年)にそれぞれ火事や地震で被害を受けましたが、その都度修復されてきました。
明治期の廃城後、櫓や門をはじめとした多くの建物や堀などが失われましたが、本丸表門や旧二の丸隅櫓等は残りました。また、明治4年(1871年)からは陸軍省の管轄で兵営として使われており、昭和28年(1953年)からは本丸部分などが陸上自衛隊の駐屯地になり、現在に至ります。
城の一部は現在「新発田城址公園」として整備されており、本丸表門や旧二ノ丸隅櫓、平成16年(2004年)に古地図や古写真などの史料を元に復元された辰巳櫓が見学できます。なお、同年三階櫓も復元されていますが、こちらは自衛隊の駐屯地内にあるため外観のみが見学できます。
新発田城の見どころ①三体の鯱を載せた三階櫓
自衛隊駐屯地内にある三階櫓は、延宝7年(1679年)に再建された姿を史料をもとに平成16年(2004年)に復元したものです。複合式層塔型、3重3階の櫓の最上階は丁字型の入母屋であり、棟上には鯱が3体据えられています。鯱が3体あるのは全国的にも極めて珍しい意匠として知られています。なぜ3体あるのかは明らかになっていません。
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新発田城の見どころ②現存する本丸表門と旧二の丸隅櫓
新発田城には江戸時代に建てられた、本丸表門と旧二の丸隅櫓が残されています。2階建ての本丸表門は享保17年(1732年)に再建されたもので、往時の風格を漂わせています。2階には石落としがあるのが特徴です。
旧二の丸隅櫓は2重2階の二重櫓で、寛文8年(1668年)の火災の跡に復元されたものです。もとは二ノ丸北にありましたが、昭和32年(1957年)、昭和の解体修理の際に本丸の鉄炮櫓があった場所に移築されました。
表門、櫓ともに腰壁に黒い瓦を白い漆喰で固めた海鼠壁で飾られているのが特徴です。美しい格子状のデザインは、防火や防水といった効果もあります。
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新発田城の見どころ③復元された辰巳櫓
平成16年(2004年)に復元された辰巳櫓は2層2階の櫓で、内部が一般公開されています。内部には城の模型や礎石、瓦、鯱などが展示されています。
実は辰巳櫓は赤穂浪士の堀部安兵衛の父が管理責任者をしており、櫓の焼失の責任をとって浪人となりました。息子の安兵衛は家名再興のために江戸に行き、赤穂事件の討ち入りに参加することとなります。
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新発田城の見どころ④石垣や水堀
本丸周辺の石垣や水堀は保存状態が良く、輪郭式平城の典型を示しています。全長350mに及ぶ残された石垣は、寛文9年(1669年)の大地震で崩れたものを積みなおしたものがほとんどで、精緻で美しい切込ハギの布積みです。角は算木積みで、石は玄武岩が使用されています。
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新発田城のおすすめ撮影スポット
三階櫓や旧二ノ丸隅櫓は堀越しに石垣とともに撮影するのがおすすめ。海鼠壁をしっかりと写真におさめましょう。三階櫓の屋根にいる鯱3体は望遠レンズを活用しましょう。
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栗本 奈央子
執筆者 栗本 奈央子(ライター) 元旅行業界誌の記者です。子供のころから日本史・世界史問わず歴史が大好き。普段から寺社仏閣、特に神社巡りを楽しんでおり、歴史上の人物をテーマにした「聖地巡礼」をよくしています。好きな武将は石田三成、好きなお城は熊本城、好きなお城跡は萩城。合戦城跡や城跡の石垣を見ると心がときめきます。