HISTORY
徳川軍の猛攻を二度も退けた難攻不落の城「上田城」
上田城は「日本一の兵」と呼ばれ、現在も高い人気を誇る戦国武将真田信繁(幸村)の父、真田昌幸によって築城された平城です。二度にわたり徳川軍を撃退したため「難攻不落の城」と呼ばれ、現在も多くの観光客が訪れる上田市の観光名所となっています。今回は、上田城の特徴について解説します。
- 信濃国小県の真田本城主によって築城される
- 上田城は、天正11年(1583年)に、真田昌幸によって築城された平城です。上田盆地の北部、千曲川の分流である尼ヶ淵に面して築城されたので「尼ヶ淵城」という別名があります。
城の北部は太郎山、南部は千曲川に面して建てられ、北側と西側に矢出沢川を引き込んで外郭としていました。東側は攻め口でありましたが湿地帯と蛭沢川などがあり、大軍が攻めにくい構造となっていました。
上田城は、天正11年・天正13年・天正18年と何度かの段階をふんで築城されています。そして、天正13年(1583年)に徳川家康の軍勢が上田城に攻めてきます。これは、織田信長が本能寺で討たれた後、甲斐国・信濃国・上野国の支配を巡って勃発した天正壬午の乱の戦後処理で徳川家と真田家が対立したことで起こりました。後に「第一次上田合戦」と呼ばれたこの戦いで、真田家は上田城で徳川軍を迎え撃って見事に退けています。この戦いは2016年に放映された大河ドラマ「真田丸」をはじめとして、多くのドラマや映画、小説に描かれています。
- 関ヶ原の戦い後に完膚なきまでに破壊される
- 豊臣秀吉が亡くなった後、慶長5年(1600年)に起こった関ヶ原の戦いで真田昌行と真田信繁は西軍につきました。それに連動した第二次上田合戦で、真田軍は上田城にこもって徳川秀忠率いる徳川軍の猛攻を防ぎきります。しかし、戦い自体は東軍が勝利したため、真田昌行と真田信繁は紀伊国の九度山に配流されました。城主がいなくなった上田城は慶長6年(1601年)に徳川家康によって完全に破壊され、堀も埋め立てられます。
- 仙石忠政によって再建築される
- 真田昌行の長男である真田信之は、関ヶ原の戦いで東軍についたために真田昌行が九度山に流された後、真田領を任されます。真田信之は再三徳川家康に上田城の再建を願い出ましたが、却下され続けました。その後、真田信之は元和8年(1622年)9月には信濃国松代へ転封されます。上田藩の藩主だあったとき、真田信之は破壊された上田城の三の丸跡地に新しく館を構えて治世を行い、城下町などの整備を行いました。真田信之が松代へ移った後、代わりに小諸藩より仙石忠政が移封されます。仙石忠政は、上田城の再建を願い出て、それが許可されたために寛永3年(1626年)から再建に着手しました。現在残っている上田城の遺構は、このときに造られたものです。仙石忠政は、本丸には櫓7棟、櫓門2棟、それらを繋ぐ塀が普請しましたが、寛永5年(1628年)仙石忠政が亡くなったことにより工事は中断され、二度と再開されることはありませんでした。
- 明治時代以降の上田城
- 上田城は完全に再建されないまま江戸時代を通して上田藩藩主の居城であり、政務の中心地であり続けました。明治時代になると、上田城は解体が進んで石垣と西櫓が1棟だけが残されるだけになります。昭和期に移築された本丸の櫓2棟が元の位置に復元され、平成期には櫓門や塀などが木造復元されました。
現在、上田城は旧二の丸内が上田城跡公園として整備され、上田市の観光の目玉になっています。また、上田城の敷地内には野球場や市立博物館など自治体の施設が建てられており、仙石氏に代わって上田藩藩主となった松代氏時代に造られた屋敷門と堀は、上田高校の敷地に利用されています。また、1983年からは真田昌幸が上田城を築城して400年の節目を迎えたとして、毎年「上田城真田まつり」が開かれています。毎年春、桜の季節に行われ、上田市を代表する祭りの一つです。2017年には大河ドラマ「真田丸」で真田昌幸を演じた草刈正雄さんがパレードに参加するなどして大いに盛り上がりました。このほか、上田城の近くには作家池波正太郎の代表作「真田太平記」をテーマとした「真田太平記館」があり、「大阪冬の陣・夏の陣」の地理的状況や軍の動きなどを立体的に表した展示物などをみることができます。
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