HISTORY
関ヶ原の戦いで石田三成の本拠地になった大垣城
大垣城は、岐阜県大垣市郭町にあった平城です。別名を麋城(びじょう)や巨鹿城(きょろくじょう)と言い、太平洋戦争の空襲で焼失するまで天守閣が現存していました。慶長6年(1600年)に起こった関ヶ原の戦いでは、石田三成の本拠地にもなった歴史があります。
そんな大垣城の歴史を紐解いていきましょう。
- 関ヶ原の戦いで石田三成の本拠地となる
- 大垣城の歴史は、美濃守護を務めていた土岐一族の宮川吉左衛門尉安定によって天文4年(1535年)に築かれたと伝わっていますが確かな記録は残っていません。
戦国時代後期になると、大垣城は戦略上の重要な拠点になったことから織田氏や斎藤氏といった中部地方に台頭してきた戦国武将が奪い合いを繰り返し、最終的に織田信長の父、小田信秀が落城しましたが、5年後斎藤氏が奪い返します。その後、永禄2年(1559年)氏家直元(桑原直元)という武将が大規模な改修を加え、堀や土塁が拡張され、総囲いなどが整備されました。
天正11年(1585年)賤ヶ岳の戦いが終わると、大垣城が建つ地域一帯は羽柴秀吉(豊臣秀吉)の支配下に入ります。秀吉ははじめに池田恒興とその息子池田輝政に大垣城を与えた後、池田輝政を岐阜城に移封し、豊臣秀吉の甥、豊臣秀次の家臣一柳直末に3万石で城主の座を与えました。
天正13年(1586年)に発生した天正地震により、大垣城の建物は全壊消失します。天正16年(1588年)~慶長元年(1596年)一柳直末、もしくは伊藤祐盛によって特徴的な4層の天守閣が建築されました。
慶長6年(1600年)に関ヶ原の戦いが起こると、当時城主であった伊藤盛宗が西軍に味方したため、石田三成は主力軍を率いて大垣城に入り本拠地としました。その後、石田三成と主力軍は関ヶ原へ移動した後、三成の妹の夫にあたる福原長堯という人物が城を守るために残ります。
関ヶ原での戦いで西軍が敗北すると大垣城は東軍に包囲されます。さらに相良頼房、秋月種長、高橋元種が東軍に寝返り、垣見一直、木村由信、木村豊統、熊谷直盛らを軍議の名目で呼び出して謀殺しました。このような状況になってなお、福原長堯は抵抗をつづけましたが、徳川家康からの使者が直接説得してようやく降伏して城を明け渡します。関ヶ原の戦いが始まったのが9月15日、福原長堯が降伏したのは9月23日のことでした。
その後、福原長堯は伊勢朝熊山に籠って出家しますが徳川家康は彼を許さず、結局自害して生涯を閉じました。
なお、大垣城の戦いに加わっていた山田去暦という武将の娘がそのときの場内の様子を書き残した「おあん物語」という読み物が現代まで伝わっています。
- 江戸時代以降の大垣城
- 江戸時代に入ると、城主は石川康通、甥の石川忠総、松平忠良などが務め、その間に大規模な修繕や改築が行われました。寛永12年(1635年)に戸田氏鉄が城主になると以後明治維新まで戸田氏が城主を務めます。江戸時代の大垣城は4重4階の合式層塔型天守のほか、3重櫓1基に2重櫓を3基、二ノ丸に月見櫓など3重櫓を4基、三ノ丸には2重櫓4基、平櫓1基などが建て並んでいました。本丸と二之丸は並郭式に並んでおり、その周囲を三之丸が囲み、さらに三之丸の外側を総構がかこっていたと記録に残っています。
明治時代に入り廃城令が発せられましたが、天守などの一部の建物は破損を免れ、昭和11年(1936年)には、天守等が旧国宝に指定されます。しかし、昭和20年(1945年)の大垣空襲により、天守を含む建物はすべて焼失しました。
昭和36~42年(1959~1967年)にかけて天守や乾櫓などが鉄筋コンクリートで復元されます。しかし、天守は群上八幡城を参考にしており、外観がやや異なっています。大垣市では現在まで昔の大垣城を再現しようという「大垣城郭整備ドリーム構想」を計画していますが、まだ実現にはいたっていません。
平成29年(2017年)に続100名城に指定されました。
- まとめ
- 現在の大垣城は場内が展示室になっており、関ヶ原の戦いに関する資料や江戸時代に大垣城の城主であった戸田氏に関する資料などをみることができます。
また、桜の名所としても親しまれており、桜の時期には市民や多くの観光客でにぎわいます。
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